(前編)「断絶状態」の二世帯住宅家族のリアル…1階に住む母親の“死に目”にも「2階の娘夫婦」は立ち会わず…看取った家族が飼い猫“サクラ”だけになってしまったワケ

2022年10月15日マネー現代


 茨城県つくば市で訪問診察を続ける『ホームオン・クリニック』院長・平野国美氏は、この地で20年間、「人生の最期は自宅で迎えたい」と望む、多くの末期患者の終末医療を行ってきた。

平野氏は5500人以上の患者とその家族に出会い、2500人以上の終末期に立ち会ってきた。

今回は二世帯住宅に住むある親子と家族が飼っていた猫をめぐる実例をもとに、自宅で人生の最期を迎える人たちを取り巻く、令和のリアルをリポートする――。

「娘夫婦の猫」だったサクラ

最近、高齢者のペットは犬を超えて猫が勢力を伸ばしている。独特のツンデレ感と、毎日、散歩させる必要も無い事が理由らしい。
訪問診療の現場でも、息子に裏切られたと愚痴をこぼす場面は見かけるが、ペットに裏切られたと嘆く姿を私は見た記憶がない――。

惠子さん(84歳・仮名)の自宅にもサクラという黒猫がいた。惠子さんは二世帯住宅の一階で、三歳年上の夫と暮らしていた。サクラは「二階に暮らす娘夫婦の飼い猫」で、診察の時には、私の手がギリギリ届かない距離で鎮座して、惠子さんを見守りに来ていた。

惠子さんには認知機能の低下が軽く見られるが、そもそも気難しい性格のようで、介護サービスに来る相手さえ選ぶ方だった。私も初診時には、かなり観察された記憶がある。

「私はね、集団の生活は難しいから施設も入院も駄目、絶対に家なのよ」
が口癖で、夫に視線を向けながら、
「だから、あなたは私より先に逝かないでね。絶対に私より後ね」
と訴えるのが、診察時の「お約束」だった。

なかなか自分本位の考え方だが、夫は「はいはい」といつも笑い、
「俺もそうしてやりたいよ。でも八十半ばとなると身体が自分の思い通りに動かないんだよ。今朝も目が覚めて動けるまでに30分はかかったんだから」
と愚痴をこぼす。これも診察時の「お約束」である。患者は病気ゆえに、自分の事しか見えなくなる。しかし患者を見守る家族、配偶者も、ともに年をとるのだ。

支えていた夫の急死

ただ、私は気難しい惠子さんの「自宅で死にたい」という希望は、ある程度は叶えられると考えていた。夫は惠子さんより高齢だが、二階には娘夫婦が同居しているからだ。

不安があるとすれば、この家に3年間通っているが、その娘夫婦と一度も会えていない事だけだった。二階から降りてくるのはいつも黒猫サクラだけ。ただこうした状況も、患者の病状が安定している頃にはよくあるケースである。

しかし、終末期の介護に予定調和は無い。惠子さんの転機は、冬の夜に突然、始まった。惠子さんを支えていた夫が胸痛を訴え、搬送先の救急病院で急死したからだ。

惠子さんの介護計画をもう一度、練りなおす必要がでた。

3日後、彼女の今後を決めるための担当者会議を行なった。出席者はケアマネ、訪問看護、ヘルパー、そして私。しかし、患者本人の次に出席を必要とされる娘は、その席にいなかった。今朝もまた、「仕事の多忙」を理由にケアマネの電話に欠席を申し入れてきた。

私も不安になってきた。キーパーソンである娘が不在のまま会議を進めても、決定できないことがある。患者本人の意向だけでは介護計画はたてられないのだ。夫の死によるショックのせいか、惠子さんは布団の中に入ったままだった。

「娘と同居とはいえ、日中は独居。今の精神的状態で、独りは耐えられるのであろうか?」
惠子さんのふさぎ込む姿をみて、その場にいた全員が考えた事だろう。

馬鹿にしないでよ!」

当然、「一時的に施設にショートスティをするのはどうか」という提案も出された。しかし、予想通り彼女は「夜は娘がいるから大丈夫よ! 昼間ぐらい独りでいられる。馬鹿にしないでよ!」と強烈に拒否した。

こうなってくると、ますます娘と会って意思を確かめたい。娘の人柄、介護に対する参加の意思、親との関係なども、今後の計画に関して参考にしたい。しかし同居中の娘は一切顔を見せず、連絡はケアマネの携帯で繋がるのみである。

結局、泊りもデイサービスも拒否した惠子さんのために、ケアマネが孤軍奮闘し、複数の事業社とかけあって、訪問看護とヘルパーを揃えてくれた。この人手不足の時代に、よくここまで揃えられたなと、自分の親ではないが頭が下がる。
私は「契約は娘と直接、行ったのですか?」と尋ねた。

今の惠子さんに、あの契約書を読んで印鑑を押す能力はないと思われる。疑い深い性格は、これまであらゆる書類に関して捺印を拒否してきた。うまく運んでいたのも、夫が全てカバーしてくれていたからだ。

「何度も、娘の携帯と思われる番号に電話をかけ続け、やっと連絡がついたが、直接の面会は休日ですら断られ、契約書を郵送する形で行った」と教えてくれた。

ますます、嫌な予感がしてきた。スティルス家族と私は呼んでいるが、姿が見えない家族は多数存在する。彼らはとても厄介な存在だ。最期の最後に姿を現して、患者さんの希望や決定事項を簡単に壊してくる存在となる可能性が高いからだ。

キーパーソンである娘は、惠子さんをこのまま自宅で旅立たせてくれるのか。顔の見えない相手の考えを思慮してみたが、うまくはいかなかった――。