孤独死の現場 日常のつながり薄れ

2019年02月28日琉球新報

 
 「会うたびにやつれていた」

 昨年9月に孤独死した60代の男性が住んでいた本島中部にあるアパートの大家はこう証言する。男性と最後に会ったのは家賃の徴収に訪れた8月上旬。ひげは伸び、室内にはコンビニのビニール袋が散乱していた。部屋からは異臭。病が進行した男性は、もはや外部の目を気にする余裕がないようにも見えた。「会話はできるけど、ぼんやりしていた。普段から誰とも会話していない感じでピントが合わなかった」

男性はなぜ誰にもみとられずに「孤独死」したのか。大家や地域の関係者によると、男性は隣の集落で生まれた。結婚して子どももいたが、「心身ともに病気を患い、家族とは離別した」(関係者)という。生活保護を受けながら通院していた。元妻や子どもは県外に住んでおり、10年以上会っていなかった。県内に住む親族は遺骨の引き取りを拒否した。結局、子どもが県内で納骨を済ませた。

 孤独死が起きた地域は、自治会活動が盛んな地域だった。普段から民生委員が独居高齢者の見守りをしていた。だが、近所づきあいがないなど地域とのつながりがない男性に支援の手が差し伸べられることはなかった。自治会長は「今は個人情報保護法の壁があり、もともと住んでいる人以外、集合住宅に誰かが移り住んでも分からない。法律の規制で支援が必要な人が見えにくくなった」と指摘する。

 自治会では近年、成年祝いの年齢に達する高齢者についても把握しにくく、案内文を出すのにも苦慮する。自治会長は「昔からあったユイマールが薄れつつある。そういうことでしょ」と顔を曇らせた。

 家族とのつながりがある人でも孤独死に至るケースがある。昨年8月末、浦添市のアパートの一室で元公務員の男性(72)が孤独死した。男性の兄(74)によると、独身だった男性は60代になると体調が悪化していき、保存食や工具類などさまざまな物を備蓄するようになった。アパートは足場がなくなるほど物であふれ、「ごみ屋敷」と化していった。

 男性は毎年、正月や旧盆の際には実家に戻り、親族と交流を続けてきた。だが昨年の旧盆には実家に現れなかった。心配した親族が男性宅を訪れたところ、死んでいる男性を見つけた。遺体は腐乱して顔も分からない状態だった。兄は「認知症の疑いもあり、数年前に同居を持ちかけたが断られた。何とか助けたかったが…」と無念さをにじませた。

 ごみの片付けを手伝ったおい(47)は「叔父は財産を残していたので片付けができた。身内に孤立している人がいたら、定期的に会いにいった方がいい」と語る。

 部屋からは2トントラック数台分に上るごみが運び出されていった。