55歳「孤独死」の危機から立ち直った彼の告白 妻との死別による悲嘆を救ったのは人だった
2019年01月06日東洋経済ONLINE
誰にも看取られることなく、ひっそりと部屋で最期を迎える孤独死(孤立死)。死者数は年間3万人といわれる。単身者世帯(1人暮らし)の増加にも伴って、意外にも働き盛りの世代にも多く、社会問題となっている。
そんな孤独死の8割以上を占めると言われる、セルフ・ネグレクト(自己放任)。セルフ・ネグレクトとは、ごみ屋敷や不摂生、医療の拒否などによって、自らを不健康な状態のまま放置する行為のことを指す。「緩やかな自殺」とも呼ばれる。
失業や病気、配偶者との離婚、死別など、セルフ・ネグレクトに陥るきっかけは人によってさまざまだが決して高齢者の問題だけではなく、現役世代にも起こりうる。
近年関心を集めている孤独死を防ぐには、いかにして、セルフ・ネグレクトを防ぐかにかかっているといっても過言ではない。
今回は妻との死別によって、あやうくセルフ・ネグレクトに陥り、そこから奇跡的に脱した元孤独死予備軍の男性にフォーカスした。
45歳で妻と死別後、セルフ・ネグレクトに陥る
「妻を失ってから自分のことがどうでもよくなっていたんですよ。僕の場合は、アルコールではなくて、仕事に逃避したという感じですね。自分の体のことなんか全然考えず、過労死ギリギリまで働いて、これで死ぬかもしれないと思いました。ある意味、これもセルフ・ネグレクトだと言えるかもしれません」
雪渕雄一さん(55)は、10年前に最愛の妻・直美さんと死別した後も、同じ神奈川県の分譲マンションに1人で暮らしている。妻との死別は、最もセルフ・ネグレクトに陥りやすい。さらに、雪渕さんには子どもがいないこともあって、それが余計に仕事への過度の依存となって表れた。
月曜日の朝に出勤して、火曜日の終電で帰る。そして、再び水曜日の朝に出勤して、木曜日の終電で帰る。ずっと徹夜で仕事に没頭する。それは土日も続いた。まったく眠くならない。
雪渕さんはある時、「自分はおかしいのではないか」と感じた。思った言葉が出てこないし、もう何カ月も眠れない夜が続いている。
心臓がバクバクして動悸が止まらず、「これはマズい」「このままでは死ぬかもしれない」と直感的に感じた。
しかし、明らかに身の危険が迫っていると感じる段階になるまで、自分が追い詰められているという実感はなかったという。自分で自分の健康を顧みなくなるのはセルフ・ネグレクトの特徴だが、自分でもそのおかしさに気づくことができない。自分で自分の姿が見えなくなる。それも、とてもセルフ・ネグレクトと似通っている。
近所の心療内科を訪れると、「自律神経失調症」と「パニック障害」だと診断された。
「今思うと、妻が亡くなって、本当にすべてのことがどうでもいいと思うようになった。アルコールでセルフ・ネグレクトになる人とまったく同じだと思います。パニック障害は薬で治ったのですが、今も睡眠障害だけは続いていて、睡眠導入剤は就寝前に1錠飲んでいますね」
自分の体験を人に話したことが転機に
転機となったのは、自身の胸中を他人にカミングアウトしたことだった。
あるときから、雪渕さんは絵画の収集に没頭するようになった。亡き妻の幻影を追い求めるように、女性の後ろ姿の絵ばかりを追い求めて、さまざまな美術館やギャラリーを訪れるようになったのである。
東京都内を中心に、大阪、京都など全国のギャラリーに足を運び、オーナーや作家と会話をする。それだけが、生活の中の唯一の安らぎだった。
雪渕さんはギャラリーのスタッフや作家としだいに打ち解けるようになり、自分の体験を自然に打ち明けるようになった。
直美さんとの別れや、両親のこと―直美さん他界の2年後に実家のご両親の同時介護も体験した――。雪渕さんは、とめどなくしゃべった。絵を目の前にして初めて、雪渕さんは悲しみを吐き出すことができた。
ずっとずっと胸に秘めていた思いは、あふれるように口をついて出てくる。
雪渕さんの話を聞いた女性の画廊オーナーは、話を聞きながら目に涙を溜めて一緒に泣いてくれた。
「誰かに自分の体験を打ち明けること。これが自分の中では、最大のグリーフケアになったと思いますね」
グリーフケアとは、身近な人との死別を経験し、悲嘆に暮れる人をそばで支援し、悲しみから立ち直れるようにすること。アメリカやヨーロッパでは、遺族が死後も定期的に通い、医師やグリーフアドバイザーから助言を受けることが一般化している。しかし、日本ではまだこのような取り組みは公的にはなされていない。
雪渕さんにとっては、「まさにこの体験こそがグリーフケアになった」と言う。遠いところに住む親族よりも、自分が共鳴し、そしてリスペクトする相手。そんな相手に自分の悲しみを打ち明けられたことが何よりも立ち直るうえで、大きかったのだという。
それからしばらくして、雪渕さんは行政書士の資格を取得した。妻との死別や両親の介護体験を生かし、行政書士として、主に終活、つまり身じまいのサポート業務に携わることを決意したのだ。
マンション理事長にあいさつに行くと、住民が高齢化しており、理事のなり手がいなくて困っているという話になった。雪渕さんは請われるがまま、すぐに理事になることを快諾した。その後、理事長に就任することになる。
マンションの理事長になることで、漏水などの相隣トラブルに介入するなどそんな役割の中で、住民の顔を少しずつ覚えていった。それから不思議なことに、雪渕さんが収集した絵を見たいと、町内会や仕事で知り合った人たちが家を訪ねてくることが多くなった。雪渕さんの家は仕事場でもあり、打ち合わせなどで毎日誰かしらと話をする。
男おひとりさまとしての不安はつきものだが、今はとても幸せだという。
「もし自分に何かあったらどうするんだろうという不安はありますよね。1人暮らしならよくあることで、風邪をひいて寝込んでしまって、誰も面倒見てくれなかったらどうしようと。若ければいい、寝てれば治るから。でももう若くないですし、このまま死んでしまったらどうしようという感覚になることはありますよね。
マンションの中にも、自分と同じ1人暮らしの方がいるんです。理事会でそういった方を見守るために、2日に1回でもピンポンする仕組みを作る働きかけをしたいと考えています」
雪渕さんはこのように、自らの病気という体験を経て、積極的に地域とかかわるようになっていった。「もし妻が健在で今も会社員を続けていたら、地域との関係なんて考えもしなかった」と雪渕さんは話す。
あえて選んだ「面倒くさい」生き方
人との関係を自ら作っていくこと。それが、妻との死別や自らの病という経験の中で、雪渕さんが自ら望んだ「面倒くさい」生き方だった。
マンションの理事長を務めたことで、住んでいる地区の町内会とのパイプも持つことができた。そのうちに地元町内会の副支部長という役職も回ってくるようになった。さらに今、区の民生委員の話もきている。民生委員自体が高齢化していて、同じ人間が何期も務めることになり、担い手が少なくなってきているのだ。
それにしても、これだけの役割を1人で引き受けて、さすがに煩わしさはないのだろうか。
「その面倒くさい役割を自分で作っているんです。これだけいろんな役をやっていると、どうしてもいろいろな人とかかわらなきゃいけないんですね。そういうふうに人とかかわることを作っておかないと、自分の性格柄、人とコミュニケーションを取るということをしなくなると思うんです。だからそういう仕組みを強制的に自分で作ってるんですよ」
雪渕さん自身、人と行動するのが特段好きというわけではない。人がいっぱいいるところは苦手だし、そもそも群れることも苦手。1人でいる時間がないと嫌だし、自分の時間は趣味に没頭したいタイプ。人とワイワイやることが好きというわけでもない。大人数の集まりは元来苦手なのだ。
雪渕さんは、「寂しがり屋な面もあるが、1人でいる時間をこよなく愛するというメンドクサイ性格なのだ」と、自嘲ぎみに笑いながら説明してくれた。それでも雪渕さんが、地域の活動にかかわろうとしている理由はなんなのだろうか。
雪渕さんは、ハッキリとした口調で、こう答えてくれた。
「そんな自分がこんなことを率先してやっている、いちばんの理由は、この街の住人になりたいという思いからなんです。僕は、この街の住人の1人として生きて、死んでいきたいと思っているんです。異邦人じゃなくて、鷺沼に住んでいた雪渕さん(という人)がいたと近所の皆さんに覚えてほしい」
雪渕さんは、ふっと穏やかな目をリビングの網戸に投げかけた。そして、網戸を見ながら、「今、セミファイナルの時期じゃないですか」とふと思い出したかのようにつぶやいた。セミが最期の時を迎えるという意味らしい。
「ベランダに、セミがやってきて、ちょっと触るとジージーと鳴き出す。ひとしきり鳴いて飛んでいくから、あっ、死んでなかったんだなと思うんです。この前、またセミが止まったんですね。そして、また飛んでいくんだろうなと思ってたんです。そしたら、ジッジッジッと鳴いて、そのまま死んでしまったんです。その時思ったんですね、人間だけですね、つながりを求めてるのって。孤独死どうのこうと、大騒ぎするのは。昆虫とか、動物では当たり前のことですね、1人で生まれて、1人で死んでいくんですからね」
おひとりさまの理想の死とは
雪渕さんは、人が人間的な営みによって生かされていることを知っている。
雪渕さんの優しい目が私を捉えた。友人によく「中性的」と言われる雪渕さんは女性の友達のほうが多い。奥さんが亡くなってからは、「雪渕、ごはんちゃんと食べてるの?」なんて心配してくれる女性の友達もいる。今、雪渕さんはその世界を大切にしている。
「僕、この部屋が好きなんですよ。この部屋は、家内と最後に過ごした場所なんです。僕が親の介護で奈良に帰った時に、この部屋を残した理由は、戻る場所がないと自分が潰れちゃうからなんです。自分が安らげる場所だし、家内がいた場所でもある。ここに帰ってきたかったんですね。自分の最後の理想は、この景色を見ながら死ぬことなんです。これから訪問看護って増えてくると思うんですね。それで、友達とか後見人さんに、ちょくちょく来てもらう。それが理想ですね」
おひとりさまだから、孤独死防止のために、自らの身を守るというわけではない。ただ、自分が愛したこの風景とともに、友人たちや地域の人に愛されて、穏やかに、最期の時を迎えることが理想である。
私は、妻との死別や離婚がきっかけとなり、セルフ・ネグレクトに陥り、孤独死という結末を迎える男性を数多く見てきた。雪渕さんと、彼らとの違いはなんだろうか。実はそれは、とても紙一重であったのではないだろうか。
幸運にも、雪渕さんは、趣味の絵画を通じて、自らの悲しみに寄り添い、グリーフケアをしてくれる人たちに恵まれた。
「やはり、死別の悲しみを癒やすには、誰かにその体験を話すのがいちばん。それが私にとってはアート関係者だったんです」
雪渕さんは語った。かつては、地域や会社がその役割を担ってきたが、共同体が空洞化した現在、「悲しみを引き受ける」場所や人はもうほとんどないと言っていい。豊かな人間関係を持つ人に限られる、ぜいたくな希少品のようなものになっている。
サラリーマンは近隣関係が薄く、地域からも孤立する傾向にあるということが、平成19(2007)年度の国民生活白書では明らかになっている。特に長時間労働をしている人ほど、それは顕著らしい。
まさしく会社人間であった雪渕さんは、その傾向にピッタリ当てはまる。雪渕さんは、そんなサラリーマン生活で失った「縁」を、再びみずからの手で取り戻そうとしている。それがたまたま地域であったというだけだとも言える。
たとえば配偶者の死別が孤立の大きな要因となっている日本において、もっともっと、新たなグリーフケアをシステムとして確立できないだろうか。それがひいてはセルフ・ネグレクトや孤独死を予防する手段の1つにつながるからだ。自分の親しい人が亡くなったときに支えてくれるのは、雪渕さんのように、もしかしたら親族ではないかもしれない。
きっと、「縁」はなんでもいい。そして、それを切り開くのはいつでも遅くない。きっと誰にとってもいつから取り戻せるものだ。