データで救う高齢者の命 AIが不慮の事故リスク先読み

2021年11月29日日経新聞


加齢とともに、それまで当たり前だった日常生活における行為が時に危険へと変わりかねなくなる。誤嚥(ごえん)性肺炎や転倒・転落など死因としても上位に入り、重い後遺症となるリスクをどう回避するか。日常的なデータを学習・分析することで不慮の事故を防ぐ。そんなデバイスやサービスが広がり始めた。

「うまく飲み込みができていますね」。ある病院でスタッフが食事中の患者に声を掛ける。チェックしているのは入所者が首に付けているネックバンド。筑波大学発のスタートアップ企業、プライムス(茨城県つくば市)が開発した嚥下(えんげ)計「GOKURI(ゴクリ)」だ。

加齢などにより、ものを飲み込む嚥下機能が衰えると、食べ物や唾液が通常の食道ではなく気管に入ってしまう「誤嚥」の可能性が高まる。気管にものが詰まって窒息につながるだけでなく、食べ物とともに取り込まれた口腔(こうくう)内の細菌が肺炎の原因となることがある。厚生労働省の人口動態調査によると、2020年の死因別死亡数はこの「誤嚥性肺炎」が4万2000人以上と6番目に多く、19年より2000人以上増加した。

3万回以上の音を学習

防止が難しいのは、嚥下機能の低下が把握しにくいためだ。病院や介護施設は誤嚥性肺炎を防ぐために言語聴覚士や医師が聴診器で飲み込む音を聞くなどして嚥下機能を判断するが、正確に聞き分けることは難しく経験が必要。エックス線による検査もあるが、患者への負担がかかる。

そこで、正常な嚥下ができているかの手軽な検査手段として開発されたのがゴクリだった。ネックバンドの内側に備えたセンサーが聴診器のように飲み込む音を聞き取り、正しい飲み込みができていれば外側のランプが緑色に、できていなければ赤色に光る。

判別を担うのは人工知能(AI)で、3万回以上の飲み込む音を学習しており、判定精度は97%を超えるという。

加えて、ゴクリでは患者ごとの測定結果をネットワーク上のデータベースに記録。センサーで感知した嚥下回数や嚥下のスピード、せき込んだ回数のほか、連携したスマートフォンで撮影した食事の姿勢などをチームで共有することができる。

「嚥下機能の把握には言語聴覚士らの高い能力が求められてきたが、高い水準での平準化が可能になることで誤嚥リスクの見逃しを防げる」とプライムスの仁田坂淳史取締役。嚥下機能の低下を早期に発見できれば適切な治療を受けさせたり、飲み込みやすい食事を提供させたりと誤嚥を遠ざける対応ができるようになる。ゴクリの量産化を進め「血圧計のように」(仁田坂氏)各家庭などへの普及を目標とする。

ゴクリのようにリスクの正確な把握は、対策が必要な高齢者に必要な対策を行うという人材の適正な配置にもつながる。高齢化が進み、医療や介護に従事する人たちの不足が懸念される中で、彼らの負担をいかに軽減させるかは喫緊の課題だ。

患者の転倒リスクを可視化

AIを使って転倒や転落を防ぐことで、高齢者の暮らしをサポートする取り組みも進んでいる。

消費者庁のまとめでは、16年の高齢者の「転倒・転落」による死亡者数は7116人。「不慮の事故」の中では窒息(8493人)に次いで2番目に多く、交通事故(3061人)の倍以上に上る。死亡に至らなくても、けがの後遺症などでその後の人生に重大な影響を与えかねない。

データ解析支援のフロンテオとエーザイが開発した「Coroban(コロバン)」は病院などでの転倒や転落のリスクをAIで可視化する。用いるのは、患者の看護記録やカルテといったテキストデータ。これらの情報から「睡眠剤や転倒リスクがある副作用を持つ薬剤を使っているか」といった薬剤の使用状況や、「まひやしびれ、骨や関節の異常」といった運動機能など9つの指標で1週間後の転倒や転落のリスクを判断する。

一方で、転倒や転落の危険性は施設の環境によって異なる。そこで導入先の病院のおおむね過去1年分の看護記録や、事故につながりかねなかった事象の報告書も事前にAIが学習。リスクを知らせる基準をオーダーメード化している。
コロバンはすでに全国の10施設以上で導入されている。病院側はその評価をもとにリスクの高い患者の見守りを強化したり、車いすの使用を検討したりと効率的な対策を取ることができる。

ある病院では、コロバンにより転倒や転落の発生率が3分の2ほどに下がった一方で、スタッフの半数以上から業務負担が減ったとの感想が寄せられたという。フロンテオのライフサイエンスAI最高技術責任者(CTO)の豊柴博義氏は「コロバンにより、限りある人員の負担を最小限にとどめた上で、抜けのない対策が可能になる」と説明する。

風呂での事故防止に光技術

消費者庁のまとめで転倒・転落に次いで高齢者の死者が多い不慮の事故である溺水(6759人)も事故防止に向けた技術が磨かれている。溺水の9割以上が発生しているのが、居住場所の浴槽だ。1人で過ごしている場合が多いため発見は遅くなりやすい。11~3月の5カ月間に通報件数の約7割が発生しているように、浴室と脱衣所などの急激な温度差で血圧が急変する「ヒートショック」が原因となっていることも多く、予見することも簡単ではない。

そうした中で迅速な浴室での事故の発見に取り組んでいるのが、カーナビやオーディオ機器で知られるJVCケンウッドだ。22年度中の製品化を目指し、浴室の非常発報システムの開発を進めている。

これは天井に設置した装置で入浴している人が溺れているかを判別し、外部に異常を通報するというもの。プロジェクトリーダーを務めるDXビジネス開発部の山田康之氏は「形は違うが弊社がこれまで培ってきた技術を活用している」と説明する。どういうことか。

JVCケンウッドのシステムでは2つ1組で設置する装置に、赤外線センサーと超音波センサーの2種類が組み込まれている。

オーディオ機器の光ディスクの技術を応用した赤外線センサーで、浴槽に人がいるかいないか、つまり入浴中かどうかを確認する。そして狙いを絞って音を送り出す音響技術を利用して、超音波センサーを浴槽に向けて発し、「頭部の高さ」と「浴槽の縁の高さ」の差を計測。頭が水に沈んでいるかどうかを把握する。

溺れている可能性を把握した場合は3秒で浴室内にアラームが流れ、さらに反応がなければ約18秒後に外部に発報する仕組みだ。

同様の浴室の見守りシステムは大阪府を中心に有料老人ホームを運営するライフケア・ビジョン(大阪市)も手掛ける。同社がサイエンス(同)や医療機器開発のメディカルプロジェクト(静岡市)と共同開発したシステムでは、浴槽に脈拍や呼吸を計測するセンサーを搭載。

脈拍や呼吸を検知しなくなると1分後に強制的に浴槽の側面から排水が始まる。1月にオープンした大阪府吹田市の高齢者向けマンションにも導入されており、異常発生時にはライフケア・ビジョンの見守りセンターに通報。迅速な救助につなげる。

JVCケンウッドのシステムでもライフケア・ビジョンのように強制排水のシステムや、外部の警備会社などと連携することは可能といい、「すでに複数の会社から話は来ている」(同社)という。

高齢化が進展する中で、日常生活をサポートする技術は今後も重要性を増していきそうだ。