「監視」を「見守り」に転じるには 森健氏 野村総合研究所・未来創発センター上席研究員
2021年11月02日日経新聞
デジタル技術は監視社会を生み出しているという議論がある。町中に設置された監視カメラや、スマートフォンなどのデジタル機器を通じた、国や民間企業による市民の移動履歴やウェブ閲覧履歴の把握。そして、その情報を利用した思想・行動のコントロールだ。
しかし、デジタル技術を使って似たようなことが行われていても、それが「見守り」になるケースもある。たとえばセコムなど民間企業が提供する見守りサービスは、子供や高齢者の所在地の把握を通じて安心を提供する。また公共サービスのデジタル化が世界最高水準であるデンマークでは、国民の満足度は極めて高い。どちらのケースも企業や国家がユーザーの膨大な個人データを把握しているにもかかわらず、である。
この違いを生み出す要因は何か。まずセコムの例のようにユーザーが自らお金を出してサービスを受ける場合は見守りになる。我々は監視対象ではなく顧客だからだ。しかしこの解決策では、お金のある人だけが「見守り社会」を享受できることになってしまう。
そうではなく、市民全体が「見守り社会」に属するためのヒントはデンマークにある。デンマークは国民の「一般的信頼」、つまり他者一般を信頼する度合いが高い。データ活用でいえば、自分の個人データは国や企業によって悪用されないと人々が信頼していると言い換えてもよい。
社会心理学者の山岸俊男氏によれば、一般的信頼が高い人は単なるお人よしではなく、他者が信頼できるかどうかを判別する人間性検知能力はむしろ高い。そして、人々に多くの機会が与えられている社会ほど、市民の一般的信頼が高くなるという。常に新しい人との交流があるほど、他人を見極める能力が鍛えられるからだ。
これをデンマークに当てはめると、社会的弱者を見捨てず機会を与えるという政府の姿勢と、アクティブ・シチズンシップ、つまり能動的かつ自分の責任で様々な機会を活用する市民の姿勢に、一般的信頼の高さの理由があると筆者は考えている。日本でも、人々に多くの機会を与えて他者を能動的に信頼する技術を磨くことが、監視社会を見守り社会に転じるカギになるのではないだろうか。