期待の高齢者の遠隔見守りサービス、あえなく破綻 [ワーコン元代表取締役] 青木比登美氏
2021年06月24日日経ビジネス
「家族と医師、看護師をつなげ高齢者が安心して在宅医療を受けられるサービスを──」という理念を掲げて2016年、ワーコンを起業しましたが残念ながら会社存続を断念しました。
直接の原因は高齢者の遠隔見守りサービスを一緒に手掛けようとしていた1社から借りたお金を返済できなかったことです。
融資契約に至るまでの過程や、なぜ、融資を受けることになったのかなど本当は詳細を説明したいのですが、破産手続き中のため、ここではそれができません。
このため事実関係だけを説明しますと、支援会社からの出資を切り替える形で19年に1億5000万円の融資を受けました。必死に返済しようと東奔西走しましたが、相手が待ってくれず、20年の12月1日に同社から破産手続き申立書が福岡地裁に提出されてしまいました。
私にその連絡が来たのが1月27日。2月に業務停止命令が出る可能性を取引先に伝えました。
裁判沙汰で借り入れならず
何とか食い止めようと金策に走り、日本政策金融公庫にも資本性ローンでの借り入れ相談に乗ってもらいましたが、やはり裁判沙汰になっていることがネックとなり話は成立しませんでした。
融資元の支援会社が離れた後、運転資金は枯渇していきましたが、多くの関係者が支えてくれました。「遠隔見守りによる看護の仕組みは必要」と医療関係者が出資名目で500万円を支援してくれたほか、個人投資家や福岡の経営者仲間も毎月手助けしてくれました。
実は収入面では21年に入り青森市や大分県日田市、茨城県大子町がこの見守りサービスを実証実験で採用することを決めていて、4月以降3000万円の売り上げのめどがたっていたのです。青森市の実証実験事業ではパートナーだったフィリップス・ジャパンが前倒しで事業費を支払ってくれました。
ほかにも福祉用具のリース会社や生命保険会社とも契約間近でした。15人いたスタッフもパート5人に切り替えて人件費も切り詰めました。ですが、時すでに遅し。21年4月から自力で経営を立て直せる寸前だっただけに無念でなりません。しかもコロナ禍で接触機会を減らしながらの見守り需要は高まっており起死回生のチャンスでもありました。
私が起業したきっかけは、看護師時代に受け持っていた高齢の患者さんの孤独死でした。「病院にいるだけではダメだ。病院の外からでも見守れるシステムを作らないと」とこの時、痛感したのです。
もっとも、起業といっても技術ノウハウはほとんどありませんでしたが、NTTドコモ出身でセンシングに詳しいモバイル社会戦略研究所の柿原英人代表との出会いで、事業化に向けて前進することになりました。
多くの会社のセンサーが脈と呼吸しかセンシングできない(亡くなったことしか発見できない)のに対して、柿原さん開発のドップラーセンサーはマイクロ波の跳ね返りで人の脈拍や血流を数値化しデータとして拾うだけではなく、全身の動きも捉えるのです。私は看護師だったので動作のデータなどを見てその高齢者の生体状態が分かりました。
各メーカーの担当者からは「この分析は看護師でないとできない」と驚かれました。私の看護師としての長年の経験と最新技術でどこも手掛けたことがない見守りサービスが実現できると確信しました。
18年には柿原さんと取り組んだ見守りサービスが福岡市の実証実験に採用されました。300人の高齢者を対象にしたプロジェクトで一度に500台のセンサーの供給が決まり、1億3000万円の売り上げがたちました。
その後、NTTドコモ九州支社やNTTデータ九州の協力もあり、話しかけるだけでモニターに映る看護師と通話できるNTTドコモのAI技術を採用した問診型の対話ロボットも共同開発。プロジェクトが前進するなか、残る課題はセンサー情報が集まってくるワーコンの見守り拠点と訪問介護ステーション、家族をつなぐ情報共有のネットワーク作りです。
以前から協業していたNTTデータが情報共有システム開発を手掛ける計画でした。しかし、スタートアップとの新規事業案件で社内審査に通らず、19年同社はやむなく撤退しました。その後、ネットワークを含めた全体のシステムを開発できる企業が入ってくれましたが、その企業が破産につながった1億5000万円の融資元でした。
協業先との方向性もずれる
破産の直接の原因は融資が返済できなかったことですが、協業先と目指す方向がずれていきマネージできない経営の未熟さもありました。
私の起業の原点は家族と高齢者が安心できる在宅医療システムを確立することでした。そのためには療養者の状態を把握するセンシングやロボットという道具がどうしても必要でした。
ただ、協業先の社内営業会議では売り上げを上げるためにロボットを家電量販店で販売するとか、子供の見守りにも事業領域を広げられるといったように私の理念とかけ離れる提案が続き、大きなずれが生じていました。
私が事業価値を置く「看護サービス」ではなく、センサーやロボット、情報共有システムといった道具の方に注目が集まり、本来の意味でのワーコンの価値を投資家や営業先にきちんと伝えられていなかったように思います。
また、高齢者医療は当事者や高齢の親御さんを持つ50~60代の人でないとわからない部分もあります。IT関連の協力会社の30~40代社員と一緒に社会課題を解決する難しさに悩み続けた5年間でもありました。
幸いなことに破産手続き開始が決まった後、もともと協業していた福岡市のGcomホールディングスというシステム開発会社が、私が目指していた事業をそのままうちの会社で実現してほしいと雇い入れてくれました。
起業家としてではありませんが、看護師としてのミッションは今も続いています。近い将来見守りサービスをきっちり収益化して、私を支援してくださった方々に恩返しできればと思っています。