単身の高齢者を看取るのは「誰」なのか

2020年05月01日ヤフーニュース

  

超高齢社会を迎えた日本では、一人で暮らす高齢者が数多くいる。全国でおよそ683万人。身近に頼れる家族や親族がいないという人も多い。一人ひとりは何を思い、どう生活しているのか。そんな高齢者と向き合い、最期を看取るのは誰なのか。独自の取り組みを続ける兵庫県の介護付きシェアハウスや、東京のマンモス団地を訪ねた。取材は1月下旬に行った。

一人暮らしの家で骨折し車いす生活に

「ここは気楽でええ。気兼ねがないし安心や。若い人もいるし」

清水春子さん(仮名)は1928(昭和3年)生まれの92歳。きょうだいは亡くなり、頼れる親戚はいない。長年マンションで一人暮らしをしていたが、ある日部屋で転んで足を骨折し、車椅子生活になった。「次にけがをしても誰にも気づかれない」と医師に心配され、3年前にこの施設にやってきた。一人暮らしの頃は、ソーシャルワーカーに不満を訴え、子どもも大の苦手だったともいう。

兵庫県のJR新長田駅から徒歩15分。高層マンションを抜け六間道の商店街のアーケードを過ぎると、6階建ての建物が現れる。ここが清水さんの入居する “多世代型介護付きシェアハウス”「はっぴーの家ろっけん」(以下、ろっけん)だ。「サービス付き高齢者向け住宅」(以下、サ高住)に相当する。

オープンしたのは2017年3月だ。

ろっけんの1階には、ランドセルを背負った近隣の小学生や、パソコンで仕事する20代の若者たちの姿がある。入居する高齢者のそばで介護スタッフと子どもが談笑する。訪日外国人が来ることもあり、毎週200 人もの訪問者が集う。彼らは入居者の家族・親族でもなければ知人でもない。いわば「他人」だが、1階で高齢者と話しこむ人も珍しくない。

ろっけんの「にぎわい」は、高齢者を孤独から遠ざけていた。

多世代が集う町のたまり場

運営するのは、Happy代表取締役の首藤義敬さん(34)だ。

なぜ、地域の多世代が集まり、活発な交流が生まれるシェアハウスをつくろうと考えたのか。

5年前、妻と地元の長田地区に戻った首藤さんは、小さな2人の子どもの子育てと、祖父母の介護に直面した。両方をやろうとすると、夫婦のどちらかが仕事を諦めなければならない。

これは避けたかった。

そこで首藤さんは、認知症の祖父母が住めるようなサ高住の施設の1階に、地域の人が集う「たまり場」をつくることを考えた。集まった人が祖父母の話し相手になってくれるかもしれない、2人の子どもの面倒を見てもらえるかもしれないと思った。首藤さんは振り返る。

「誰か一人のためじゃなくて、みんなに居心地のいい環境をつくって、おじいちゃんおばあちゃんの日常の登場人物も増やしてみようと。“エゴを社会化”したら、みんなの暮らしが豊かになるんじゃないかと考えたんです」

「みんなのたまり場」で高齢者を看取った

入居者は月額10万5000円の家賃と共益費を払い、個室に暮らす。入居者は30人ほどで、約7割は要介護の認定を受けている。

半年ほど前、首藤さんはろっけんで87歳の“じぃじ”を看取ったことがある。

2019年秋、認知症で徘徊をくりかえしていたじぃじの容体が悪化した。酒やギャンブルで家族に苦労をかけてきたじぃじ。別の施設にいたが、ろっけんに入居する寝たきりの妻の願いもあり、最期をここで過ごすことになった。

看取りをする高齢者住まいは他にもある。ろっけんが他と違うのは、家族に加え、近隣住民や顔なじみの人らも交じって看取りをすることだ。首藤さんは開いたイベントに集まった人たちにこう語りかけた。

「きょうはみんなにお話があります。じぃじ、もうすぐ亡くなります。お医者さんによれば、もって2週間ということです」

突然の発表に泣き出す子もいたが、「お別れの場は、病院がいいのか、ここがいいのか。最期の時間をどう過ごしたらいい?」と問いかけると、「じぃじと自分たちにとっていい時間にしたい」と前を向いた。最後はみんなが見守るなか、ネット通販で2万1000円の棺桶を買った。

「お別れ会」をすることが決まると、子どもたちはじぃじの思い出の写真を、ろっけんの廊下や部屋に飾った(提供:はっぴーの家ろっけん)

じぃじには娘がふたりいた。お酒やギャンブルがやめられなかった父親に複雑な思いを抱いてきたが、残されたごくわずかな時間をともにした。看護師のサポートのもと、娘は父親をお風呂に入れた。男性はもう食事を取ることもままならなかったが、大好きなワンカップ大関を口にした。「暗いのはやめてくれ」と話していたように、最期までお酒が飲めて喜んでいた。

10月のある日、午後10 時すぎにじぃじは旅立った。ろっけんでお別れ会から葬儀、火葬場への出棺まで行い、3日間に200人が集った。寝たきりの妻は車いすで喪主を務めた。地域の人とにぎやかに見送ったことで、娘の心境も前向きなものに変わっていたという。

首藤さんは、ろっけんで葬儀まで開いた理由をこう語る。

「家族や元気な人は葬儀場に行ける。けれども、足腰が弱くなったおじいちゃんおばあちゃんは行けない。みんなで送ろうと思ったら、看取りと同じ場所で葬儀をあげるのは自然なこと」

高齢者が暮らした場所で看取り、葬儀までする。それは、最期を迎える高齢者にとって安心なのはもちろんだが、見届ける周囲にとっても大きな意味を持つ。お別れ会に立ち会ったおじいちゃんはこう感慨にふけったという。

「近い将来、自分もこうやって逝くんだな」

お別れ会にて、寄せ書きの描かれた棺の前で手を合わせる男性(提供:はっぴーの家ろっけん)

「死ぬのを待ってる」97歳おばあちゃんの終のすみか

夕暮れどき、鍵のかかっていない玄関から入居者のおじいさんが「ただいま」と帰ってくる。同じく入居するおばあさんが「あら」と笑顔で声をかける。リビングの廊下を、近隣に住む小学生が元気よく走り抜けていった。

千葉県船橋市の「銀木犀(ぎんもくせい)〈船橋夏見〉」。ここにも、地域の人々がつくる「たまり場」がある。
前出のろっけんと違うのは、入居者に「働く機会」を提供していることだ。銀木星の入り口には、駄菓子屋が併設されている。近隣の子どもたちがお菓子を選ぶなか、入居者のおばあちゃんおじいちゃんが“番頭”に立つこともある。

本人が望めば、併設の併設するレストラン「恋する豚研究所」で働き、収入を得ることもできる。高齢者住まいとしては珍しい取り組みだ。働くことで生きがいや居場所ができ、表情にハリが出てきた人も多いという。

「死ぬのを待ってます。でも、なかなか死なないのよ」

97歳の浦野静子さんは笑う。第2次世界大戦中は、日本が統治していた旧満州の大連にあった旧逓信省の貯金局で働き、22歳で終戦を迎えた。そろばんはお手のもので数字は得意だ。連れ添った同い年の夫は、71歳で亡くなった。

銀木犀に来たのは約5カ月前。スタッフによると当初は塞ぎがちだったそうだ。足が悪く日常生活に困難を抱えていたが、生活に慣れ、他の高齢者や施設を走り回る子どもたちの存在も刺激となり、入居から2カ月ほどで歩行補助器を使って歩くようになった。

穏やかな最期を迎えられる心地よい住まい

銀木犀を運営するのは、建築会社の「シルバーウッド」。代表取締役の下河原忠道さん(48)は、視察した高齢者施設で出会ったおばあちゃんに、か細い手で腕をつかまれ「助けて」と訴えられたことがある。当時の「延命」を前提とした施設のあり方や、高齢者を「管理」しようとするやり方に疑問を感じた。そんな環境を変えたいと介護事業の世界に飛び込んだ。

入居者には、福祉施設ではなく、あくまで家のように暮らしてもらいたい。だから、ヒノキの床に、手触りのいい木製のテーブルと椅子で、輪を囲めるようなつくりにした。建設会社ならではのアイデアで住環境をデザインしている。

銀木犀は、入居者の看取り率が約7割と非常に高い。大半の人がここで生涯を終える。介護付き有料老人ホームの看取り率は23.3%、サ高住は17.8%にとどまる(野村総合研究所2016「高齢者の住まいの実態調査」)。

下河原さんが「看取り」を大切にするのは、入居者の言葉がきっかけだ。

「最初は、看取りをすることまでは考えていなかった。でも、病院で看護師長まで経験された女性が、できたばかりの銀木犀に入居されて、『(私にとって)最期を迎える場所は病院ではない』と言われたんです」

超高齢社会を迎え、介護を支える福祉業界は人材不足に直面している。だからこそ、下河原さんは、いよいよ介護施設が「看取り」を担う時代が来ると力を込めた。

「介護職が看取りをすることで、家族から『ありがとう』と感謝される存在に変わる。介護職に対する社会の見方を変えたい」

東京のマンモス団地に暮らす単身高齢者たち

東京都新宿区の戸山団地。エレベーターで7階に登ると、青空に映える新宿の高層ビル群が目に入る。

1960~70年代に誕生した35棟のマンモス都営住宅には、約3000世帯が暮らす。その半数以上は65歳以上の高齢者だという。近くには早稲田大学のキャンパスや自然豊かな公園、保育園もあり、若者や子どもたちの声が響き渡る。

いくつも並んだ玄関のひとつを開けると、ある高齢者が一人で暮らしていた。

日当たりのよい2DKの一室で暮らすのは玉木勝三さん(87)。定年までタクシーの運転手を勤め上げた。子どもはいない。脳梗塞で倒れ入院生活を送っていた妻を2年前に見送った。その後に玉木さんはパーキンソン病を患い、よく転ぶようになりベッドの上で過ごす時間が増えてきた。食事を噛んでのみ込む力も弱まり、胃ろうの処置をした。週2回のデイケアのほか、全面的な介護が必要だ。

この日、玉木さんの訪問診療をしたのは医療法人社団「悠翔会」の医師と看護師。玉木さんの血圧や体温を測りながら、診察していく。

動けなくなってからは、不安を抱えた本人の希望もあり24時間態勢の在宅介護が始まった。夜間の見守りは介護保険の適用外のため、半年ほどは玉木さんが自費で月80万円に及ぶ費用をまかなった。

それでも玉木さんは、施設に行くことは望まない。「施設と家、どちらがいい?」との問いかけに「いまのままがいいよ」と答えた。玉木さんの生活を支える訪問介護事業所「戸山のさくらんぼ」の社会福祉士によれば、「奥さんは病院で長い闘病生活を送った。そのことが関係しているのではないか」と話す。

社会福祉士は、身寄りのない玉木さんに代わって高額な費用をなんとかできないかと区と相談している。「支援の拡充につなげたい」と言った。

戸山団地の別棟には、一人で暮らす89歳の女性の姿もあった。

長年、この団地で夫と子どもの3人で暮らしていた。夫は認知症になってから施設に移り10年以上前に亡くなった。結婚した子どもは体調がよくなくサポートは期待できない。女性は2年前に大腿骨を骨折して手術をしたが、長期のリハビリを経て家に戻ってきた。

月2回ずつ内科と精神科の医師らが訪問診療し、週2回はデイケアに通う。3度の食事はヘルパーが介助し、自分でポータブルトイレに移動して排泄する。

この日、医師が確認した連絡ノートには、ヘルパーらによって、女性の食事や排泄、口腔ケアなど日々の記録が細かく記されていた。

「戸山のさくらんぼ」の社会福祉士は、同じ棟に暮らす旧知の友人。女性が何日か姿が見えないことを心配して家を訪ねた際に、転倒している姿を発見した人でもある。

窓が見える清潔なベッドに横たわる女性は、「心配なことはいくらでもある。でも、いろんな人が毎日来てくれて、さみしいことはないわ」と話した。

高齢者の生活を支える訪問診療

国立社会保障・人口問題研究所が2019年に発表したレポートによれば、2040年には世帯主が65歳以上の「高齢世帯」のうち4割が一人暮らしとなる。東京の都心にある戸山団地は、まさに日本の未来だ。現在の医療制度に不安を抱え、家族や親族に頼ることのできない高齢者は数多くいる。今後もっと増えるだろう。

彼らを支え、看取るのは「誰」なのか。

医療法人社団「悠翔会」は、首都圏で24時間対応の在宅医療ネットワークを展開。年間で約7000人におよぶ訪問診療をカバーし、亡くなる人の7割を在宅で看取る。悠翔会の理事長で診療部長の佐々木淳さんは、高齢者の生活を支えるのは、医療と地域コミュニティーが連携した介護ではないかと話している。

仮にある高齢者が、大腿骨を骨折し肺炎を起こすと、入院医療費は合わせて約600万円かかることもある。骨折して寝たきりになり、肺炎で胃ろう処置をする高齢者も多い。

佐々木さんは「この600万円で、高齢者は“幸せ”になっているか」と問いかける。「医療だけでは、高齢者は幸せにならない。介護を通じて、できるだけ安心して日々を穏やかに暮らせる環境を整えることで、トータルで豊かな暮らしを送れる」と語った。

戸山団地では、単身高齢者の「医療」と「生活」を地域密着型の訪問介護が支えていた。

長い人生の末に、仕事や家族との縁を失っていく単身高齢者たち。彼らに必要なものは、家族やお金だけではなく、地域の人たちや他人との「つながり」だった。「ひとり」と「孤独」は違う。身寄りのなくなった高齢者は、その声に耳を傾けてくれる人のそばで暮らしていた。