電気ポットによる高齢者見守り事業が16年続く理由

象印マホービンの事業担当者 川久保亮氏に聞く

2017年07月27日日経BizGate

 
 「IoTでビジネスを創出する」。多くの企業は今、IoTブームに乗り遅れまいと必死だが、現実には多くのハードルが待ち構えている。ICT(情報通信技術)で既存の製品に新たな価値を付加することはIoTに期待される成果の1つだが、どのようにすればよいのだろうか。連載第3回は、実際にIoTをビジネスで活用している象印マホービンにその勘所を尋ねた。

 炊飯ジャーや電気ポットのメーカーである同社は2001年に、無線通信機能を備えた電気ポット「iポット(iPOT)」を開発。それを活用して高齢者見守りサービス「みまもりほっとライン」を16年にわたり提供している。ここでは、同事業の担当者である川久保亮氏(グローバル業務部 特機グループ サブマネージャー)の話を基に、開発の経緯から現在の事業戦略までをまとめた。

社会貢献のため企画するも開発に苦労

 まず、ICTを活用して電気ポットで高齢者見守りサービスを実現した背景を聞いた。なぜ電気ポットのような、監視とは縁遠い機器で高齢者見守りサービスを実現することになったのだろうか。また、高齢者見守りサービスを開発した当時はインターネットに接続するための技術的なハードルが現在よりはるかに高かった。それをどう乗り越えたのだろうか。

 みまもりほっとラインの3代目担当者である川久保氏は、初代担当者などから伝え聞く、開発当時の様子をこう話す。

 「みまもりほっとラインの開発はよく知られた孤独死の事件をきっかけに始まりました。1996年4月、東京・池袋で、病気の息子さんとその看病をしていた高齢のお母さんが孤独死された事件を覚えている方も多いでしょう。その事件に心を痛めた東京の医師の方が『家庭向け機器を使い、お年寄りの日常生活を把握する方法はないか』と当社に相談され、メーカーとしてなんとかお役に立ちたいと考えたのです」

 象印マホービンが製造する機器は、炊飯ジャーや電気ポットなどだが、毎日電源を入れて利用する。これらに通信機能を組み込み、遠隔から利用状況を調べれば、高齢者の生活を離れた場所からも見守ることができる。行動を把握するという目的からすれば、監視カメラが直接的だが、プライバシーが損なわれてしまう。それに対して、炊飯ジャーや電気ポットは、高齢者の側に「監視されている」という感覚が生まれにくい。

 同社はサービスの実現に向け、通信機能を組み込む機器を絞り込み、最終的に炊飯ジャーと電気ポットについて実証実験を行った。
 「高齢者を遠隔から見守るサービスは当時、その概念自体が一般的ではありませんでした。そこで、製品モニターの方による実証実験などを通じて実用性を入念に検証しています。その結果、電気ポットは毎朝電源を入れてお湯を沸かし、お茶を飲むために何度も給湯するなど、行動を炊飯ジャーよりきめ細かく把握できることがわかりました」

 結果を受けて、電気ポットを対象に通信機能を組み込むことにしたが、最初の実証実験から実際のサービス提供までは約4年かかったという。技術的なハードルが予想以上に高かったためだ。

 「当時、インターネットはありましたが、通信ケーブルを家の中に配線して電気ポットに接続する工事が必要で、お年寄りは家の中の配線工事を好みません。また、ご家族が遠隔で電気ポットの利用状況を確認するには、パソコンと専用のソフトウエアが必要でした。サービスの形は見えていながら、技術的な問題で実用化は暗礁に乗り上げました」

 こうした問題の解決に要したのが上記の4年という歳月だった。まず、家の中の配線工事の問題は、無線通信技術の進歩で解決した。

 「携帯電話通信事業者のNTTドコモが自動販売機の在庫管理に無線通信を利用している事例を開発担当者が見つけ、その技術を使えば家の中の工事が不要になることがわかりました。電気ポットに無線通信用の部品を入れれば済みます」(川久保氏)。

 また、家族が電気ポットの利用状況を確認する際にパソコンと専用のソフトウエアが必要になる問題は、携帯電話と電子メールが解決した。携帯電話がインターネットにつながるようになり、誰でも簡単に電子メールが受信できるようなったのである。

 しかし、技術の進歩だけがこの見守りサービスを実現したとみるのは早計だ。より大きなカギとなったのは、開発担当者が4年にもわたってこのサービスを継続的に検討し、会社がそれをバックアップしたことだろう。ICTは進歩が速いといわれるが、無線通信技術がこれほど急速に普及するとはほとんど予想されていなかった。そうしたなか、同社が見守りサービスの開発を継続したのは注目される。

電気ポットの新しい価値として周知を徹底

 続いて川久保氏に聞いたのは、IoT電気ポットを活用した高齢者見守りサービスの事業戦略である。高齢者見守りサービス自体がほとんど知られていないときにどのように有償の事業であるこのサービスの契約数を増やしたのか。また、契約数は順調に増えたのだろうか。

 象印マホービンが初代の通信機能付き電気ポットで、高齢者見守りサービスを開始したのは2001年3月21日のことだ。無線通信と電子メールを活用したため、利用者は電気ポットが届いたその日から見守りを開始できる。サービスは、通信機能付き電気ポットのレンタル料金と無線通信費用を含んで月額3000円で提供された。

 見守られる側のお年寄りは通信機能を装備した電気ポットを普通に利用するだけでよい。見守る側の家族は「電源オン」「給湯」といったポットの利用状況を、1日に2回、登録したメールアドレスにメールで受信できる。

 「実証実験のころから、多くのお年寄りはかなり規則正しく生活していることがわかっていました。家にいれば、同じような時間に電源を入れてお湯を沸かし、一定の間隔でお茶を飲んでいます。ご家族は電子メールでこの状況を見守ることができるうえ、お年寄りも、給湯するたびに家族に自分の行動を知らせていると意識できます」

 サービスを開始してからの最大の問題は、この事業の価値を周知することだった。高齢者を遠隔から見守るというだけでも革新的だったが、それが電気ポットという日常生活で使う機器で実現した点はさらに革新的である。そのため、「今では考えられないような宣伝費用」をかけたと川久保氏は振り返る。

 さまざまなメディアに広告を掲載したほか、記者会見を開いて新聞やテレビにニュースとして取り上げてもらった。ゼロからのスタートであり、契約数は当然のことながら右肩上がりで伸びた。サービス開始以降もテレビなどで報道されると一段と契約が増えるという状態だった。

 利用者の評判も良かった。「大事に至る前に入院できた」「風邪を引いていることがわかった」という事例が多数あるという。一方、残念なことではあるが、ポットの使用が12時間ほどないため、家族が見に行ったところ、親御さんが亡くなっていたということもある。しかしその際には「ポットがあったからすぐにわかったという言葉を利用者からいただきました」と川久保氏は話す。

 意外な効用は、利用者の家族意識を高めたことだ。見守られる高齢者は給湯するとき「行動が子どもに伝わる」ことを意識するほか、見守る家族はポットの利用状況に関するメールを見て「親が外出から帰宅したので、電話してみよう」と考えることがあるという。電気ポットがコミュニケーションを促す手段になっているともいえる。

 また、同社は、通信技術の進歩に合わせて電気ポットを第2世代の機器に変更したときに「おでかけ」ボタンという新機能を追加した。「電源オン」と「給湯」の情報をメールで知らせるだけだと、ポットの利用がなかったとき、外出で利用していないのか、体調不良で利用していないのかの区別が難しい。そこで外出時は利用者に「おでかけ」ボタンを押してもらうことで、元気に外出していることが明示的にわかるようにした。外出から帰宅して給湯のロック解除やお湯の再沸騰をした場合や、「おでかけ」ボタンを再度押したときには、「帰宅」であると知らせる。

社会貢献であっても契約数の増加は重要

 しかし16年間、このサービスが順調に契約数を増やしてきたわけではない。開始当初は月に3~4回、現在でも月に1回は放送するテレビコマーシャルの後は新規契約が増えるのだが、一方で解約もある。多くは、他の見守りサービスへの乗り換えというより、見守った高齢者の逝去・入院・家族との同居といった必然的な状況変化が原因だ。解約数を上回る新規契約を得るには継続的な周知が欠かせない。

 「前任者のときは最大で4000件超の有効契約がありましたが2011年の東日本大震災を契機に減少に転じました。家族がいっしょに暮らそうとする動きがあったほか、節電意識が電気ポットの利用度低下に向かったことが原因だと考えています。しばらく年150件程度純減の年が続き、2016年には契約数が3000件台前半になりました。私は3代目の担当者になって4年目ですが、最初の3年は辛い時期でした」

 みまもりほっとラインは事業を単体では評価していないため、厳密な評価ではないとしながらも「3000件台前半だと、単体では赤字だと考えています」と川久保氏は語る。社会貢献をきっかけに始まったサービスだけに、収益だけで事業継続を判断するわけではないが、赤字が拡大し続けると、サービスの提供に影響が出る可能性は高まる。「私のミッションは、契約数をプラスにし続けること。それが今のみまもりほっとラインのKPI(重要業績評価指標)なのだと考えています」(同)という。

 それには、やはりサービスの周知徹底が欠かせない。みまもりほっとラインの開発段階では、高齢者が他者に「見守り」されるという概念自体が広まっていなかった。そうした中、このサービスは高齢者の孤独死を防ぐという社会貢献の一環として位置づけられ、広告宣伝などの周知活動が行われてきた。

 それは、サービス自体が社会貢献であることに加え、会社をあげて社会貢献をしていることを知らしめる効果も勘案しての活動だった。時代が変わっても、みまもりほっとラインが社会貢献であることは変わらないが、そのためにも事業が持続できるように企業業績への負の影響は避けなければならない。


 「毎年の新入社員向けの研修でも、会社の歴史などとともに社会貢献に力を入れる会社の取り組みとして、広報部がみまもりほっとラインを取り上げてくれています。社内外に象印マホービンの社会貢献を認識してもらう役割があるので、マイナス続きで将来的に事業が継続できなくなるような状況からは脱却する必要があります」

情報サイトのリニューアルやWeb広告で周知を徹底

 象印マホービンはみまもりほっとラインの事業的な位置づけは変えない一方、サービスの周知方法は時代とともに変えていこうとしている。

 川久保氏らは2016年、みまもりほっとラインの契約を純増に反転させるために、具体的な手を打ち始めた。その1つが、みまもりほっとラインのポリシーやサービス内容を知らせるWebサイトのリニューアルだ。パソコン向けの画面デザインだった従来のサイトを、スマートフォンにも対応したサイトへと2016年6月にリニューアルした。

 このリニューアルは夏の新規契約数の落ち込みを減らす効果を上げている。みまもりほっとラインは、電気ポットを活用するため、冬に新規契約が増え、夏に新規契約が落ち込む傾向がある。冬場はお湯がふんだんに必要で、年末年始に帰省した家族が危機感を覚えて見守り系のサービスを検討する時期でもある。一方、夏はお盆の帰省はあるが、お湯はあまり必要とされない。そのため、夏は例年、新規契約数の落ち込みが顕著だったが改善したのだ。
 また、2016年12月からWeb広告の配信を始めている。
 「高齢者を優しく見守りたいというご家族は必ずいるはずですが、なかなかその方々に情報を届ける手段がわかりませんでした。そこでデジタルマーケティングを活用して少しでも確実に情報を届けたいと考えたのです。その結果、契約数は2016年に底を打ち、純増の月が多くなってきました。V字回復とは言えないですが、手応えを感じています」

 IoTの先駆者であり、競合となる家庭内の見守りサービスがまだなかった時代から継続している象印マホービンのみまもりほっとラインであっても、その価値を、必要とする人たちに周知し続けないと契約数は漸減してしまう。このことからも、IoTを事業化する際に、その価値を周知することの重要性は痛感できる。

 一方で、象印マホービンにIoTの先端を走ろうという気負いはほとんどない。「『IoT』をやらなければならないという認識は会社にありません」と川久保氏は話す。IoTに関する事業を先んじて実現したとはいえ、事業価値の創出に、たまたまICTが役立ったという肩の力の抜け方だ。

 今後も同社は、利用者のことを第一に考えてこのサービスを拡張していく。

 「さらに新しい世代の通信モジュールの提案も通信機メーカーからいただいており、3代目のiポットもいつか出すことになるでしょう。2代目ではおでかけ機能を入れました。3代目ではどんな機能が利用者に役立つか、頭をひねっているところです」