孤独死を選ぶかどうかは個人の自由(前)
2014年08月18日NET IB NEWS 大さんのシニア・リポート第23回
私が住む街に隣接する地域で、孤独死者が発見された。隣に住む住人からの通報で、自治会長が役員と現場に急行。郵便受けからは新聞や郵便物があふれ出し、床に四散している。居間にある電気とテレビが点けっぱなしで、それが何を意味するのか、自治会長にも十分に理解できた。自治会長は役員に命じて警察に連絡。玄関は鍵がかけられたまま。過去、かろうじて住民を救出した経験から、トイレの窓を破って中に進入。風呂場で倒れている住民を発見した。
「住居侵入罪ですからね、うかつには入れないんですが、一刻を争う場合だと判断して、損傷の少ないトイレの窓から侵入しました」と、まもなく90歳になる自治会長が述懐する。それにしても、と自治会長が続けた。「郵便受けが満杯で、床に溢れているんですよ。おかしいと思わない住民がいることに非常にショックを受けました。隣近所との付き合いを密になんて言いますが、これが難しい」と嘆いた。
この地域は、昭和40年代前半に造成された。全国各地に誕生したニュータウンの走りとして注目された。テラスハウス型のモダンな建物には、30代から40代の働き盛りの家族が入居し、新しく幼稚園と小学校が設けられた。街には子どもたちが溢れ、夏祭りには多くの家族が特設のやぐらから流れる「東京音頭」で、盆踊りに興じた。
あれから40数年、幼稚園は閉園となり、小学校には空き教室が目立つ。65歳以上の住民が半数を超えた。自治会長が卒寿である。認知症の自治会役員がいて、意味不明の発言をするという。夏祭りや敬老会がかろうじて維持できている「限界地域」と変貌した。
現役時代の肩書きやプライドだけで生きている高齢者が実に多い。先日も、生協に買い物に来た高齢者が坂を上ることができずに、後押ししたのが自治会長と87歳の役員だった。若い住人は自治会に興味を示さない。孤独死者が続出し、数年先には地域の行事がこなせなくなるだろう。将来の日本の縮図を見る思いがする地域である。
孤独死者が急増している。「無縁の遺骨 悲しき弔い」「増える孤独死 悩む自治体」と題して朝日新聞(2014年8月14日)紙上で、引き取り手のない遺体が増え、管理する自治体では遺骨の置き場に困り、粉骨にして減量化を始めたという。「目立つのが孤独死。独り暮らしで亡くなり、身寄りがないか、いても遺体の引き取りを拒んだため、墓地埋葬法に基づき市で火葬したケースだ」(同)。「面倒だ」「関わりたくない」というのが身寄りの本音だ。
面倒で、関わりたくないと思うのは、身内だけではない。結局は孤独死を選ぶしかない住人もまた、周囲との関わりを望まない。茨城県つくば市にある有料老人ホームの特別室(共用の玄関とは別の専用玄関を持つ)で暮らしていた87歳の女性が孤独死したという記事(朝日新聞、2000年4月11日)。シルバーハウジング(バリアフリーと生活援助員による見守りなどの生活支援を融合させた低所得高齢者向け集合住宅)での孤独死が目につくとの記事(同02年1月18日夕刊)。「支援拒否」を明言する高齢独居者が少なくない。
私の周りにも、「人は独りで生まれ、独りで死ぬのが当たり前」といい、公的な支援を拒否し、家から一歩もでない高齢者がいる。どのような方法で食料品を購入しているのか不明なのだが、ネットで購入していると聞き納得した。
我が町でも孤独死者が急増し、引き取り手のない遺骨が契約している寺から溢れ、その対策に追われているという実情を知った。もはや合祀するしか方法がないのだが、土地の確保と合祀墓の建立、墓地管理会社への委託・管理費用など、かなりの出費を要するため、二の足を踏んでいるのが実情だ。
前出の悩める自治会長の言うように、「新聞や郵便物が溢れていても、異常を感じない住人が増えている」のは事実だ。戦後、限られた土地に数多くの住居を確保するために、集合住宅が各地に建てられた。「プライバシーの確保」「煩わしい付き合いから解放」が、合い言葉のように住人の口からこぼれた。しかし、皮肉にもその遮蔽性が、やがて多くの孤独死者を生むことになる。戸建てを中心としたニュータウンも、半世紀を越せば立派なオールドタウンに変貌する。
(つづく)