老後の生活は楽しい? 20代から考える高齢者問題 精神科医 香山リカ氏
2012年10月12日日経新聞
「老後がこわい」「しがみつかない死に方」など、老後や死を扱った著作もある精神科医の香山リカさんは、11年ぶりに一新された「高齢社会対策大綱」の基本的考え方をまとめる検討会の委員を務め、高齢社会対策に、老後に不安を抱く若い世代を巻き込む必要性を訴えた。「若いうちから、高齢期に必要な知識をしっかり教えなければならない」「高齢者と若者の世代間交流の推進が新しいコミュニティーの構築には不可欠」「老後は楽しいというロールモデルを作ってほしい」――。香山さんの考える高齢社会対策とは。
■60歳定年は現実に合わない
――政府が推進すべき基本的、総合的な高齢社会対策の指針として9月7日に「高齢社会政策大綱」が閣議決定されました。大綱の基本的考え方が香山さんが委員を務めた内閣府の「高齢社会対策の基本的在り方等に関する検討会」でまとめられたのですが、検討会ではどんなことが話し合われたのですか。
香山 この前の大綱が2001年にまとめられました。それから11年たって、「高齢者」と呼ばれる人たちをめぐる状況もいろいろ変わってきたと思います。今や人生90年、100年とも言われ、100歳で現役というような方もいらっしゃいます。寿命が延び、「健康寿命」と呼ばれる元気で活躍できる時間も延びている。そのなかで60歳定年というのは現実に即さない。それから90歳まで30年もあるわけですから。その期間をどう過ごすかが課題になります。
ただ、そこは個人差もあって、100歳で現役の方もいらっしゃれば、早くから健康を害される方もいて、あらゆる人に即した対策というのは難しいのですが、活躍できる人たちにはきちんと仕事や社会参加をしていただきたいという話をしました。
65歳以上の方たちは、これまでは支えられる人、ケアを受ける人という立場の方が多かったのですが、これからはそうではなくて、むしろ支え手にもなってもらう場合があると思います。それは二つ理由があります。一つは65歳以上でも人の役に立ちたい、出番が欲しいという人が多い。支え手になってもらうということが出番を与えることにつながります。もう一つの理由が、これまで日本社会を支えてきた地縁とか血縁、それから勤めていた会社の社縁といったコミュニティーの力がいま、著しく弱まってきていて、そのなかで共助というか、地縁でも血縁でもない人たち同士が支え合う仕組みをつくっていかないと社会全体が立ちいかないということです。
65歳以上の人たちに出番を与えることで心の充実を図ってもらい、さらに仕事として報酬があるような形にもしなければいけない、ということが議論されました。
■日本の高齢者、亡くなるときが預貯金ピーク
――生きがいだけではなく、当然、経済的な問題も仕事を続ける動機なのですね。
香山 65歳以上の方で仕事をされている方は経済的に不安というのが理由であるケースが非常に多いです。この場合、「経済的に不安」というのは「いくらあれば安心」なのか良く分かっていません。不安でたくさん貯蓄をして、預貯金の額は右肩上がりに増え、亡くなるときが一番多いというのが日本の高齢者の特徴なんですね。欧米などは人生の中盤あたりが預貯金のピークで、あとは使っていく。日本は必要な時に必要な医療が受けられないのではないかという不安があり、怖くて使えないようです。あるいは子孫に資産を残さなくてはならないと思っているのかもしれませんが、ストックをどんどん貯め込んでしまう。使うようにしていただくためにはどうすればいいかも議論になりました。
■老後のモデル、若いときより多様
――政府は、財政が厳しく、社会保障などの給付を減らしたいので、高齢者に元気で働いてくれと言っているような気もします。
香山 「島耕作」の漫画を描かれている弘兼憲史さんも委員をされていましたが、だれでも島耕作的な生き方をしたいと思うでしょう。教える側に回ったり、コミュニケーションを楽しんだり、それなりにリッチな生活もするというのはだれでも憧れる老後だと思いますけれど、だれもがそのようにできるとは限りませんし、また、そうなる必要もないと思うんです。
一人ひとりの老後のモデルは、若い時以上に多様だと思うんです。身体を壊した方や、「もう仕事はしたくない」という方もいらっしゃる。そういった方たちにも安心して過ごせる居場所をつくりたいし、出番もつくりたいですね。
――地域とのつながりが希薄化している中で、地域のコミュニティーの再構築を図る必要があるというのは分かったのですが、それを支えるのも高齢者なのですか。
香山 高齢者だけではなく、世代間交流も促したいです。高齢の方は若い人に知恵を与え、若い人たちはITの使い方みたいなものを高齢者に教えるような形で。
■50代の自分、同世代の凡庸なサンプル
――香山さんは、なぜ“高齢者問題”に関心を持ち始められたのですか?
香山 高齢者問題と言うより、老後問題がきっかけです。
50代になった私自身は、同世代のものすごく凡庸なサンプルだと思っているんです。バブルのときが20代、30代。そのときには浮かれて、先のことなどは考えずにその日を楽しく過ごしました。ちょうど、私が社会に出たのは男女雇用機会均等法が施行されたあたりで、「これからは女性も仕事だ」と言われ、そのときはその気になりました。
ちょうどトレンディードラマがはやり、「これからは女性は早くから結婚や出産をしなくても、おしゃれに生活をエンジョイすればいいんじゃない」と言われ、「シングルが格好いい」みたいな時代が来ました。「そうかな」と思ってちゃらちゃらしているうちに、(エッセイストの)酒井順子さんが「負け犬の遠吠え」を書かれたり、少子化が社会で非常に深刻な問題となったりして、はっと気づくと「産まず嫁がず」の40代になっていた。
そのうちに親もだんだん老いてくる。気持ちでは20代のころと変わらず、趣味を楽しんだり、仕事をしたりしていたのですが、エイジングが忍び寄り、年齢に応じた課題、私でしたら親をどう介護をするかということが差し迫ってきて、50代になると周りにもそういう友達がたくさんいる。
■美魔女にも老いは必ずやってくる
今度は「自分はどうする?」となるわけです。自分自身の介護とか人生の終盤の問題は先送りにして、全然考えてこなかったし、「なんとかなるさ」という一言のもとに、棚上げしてきたということに気づくのです。周りで身体を壊す友達とか、女性の孤独死がとりあげられ、実際に周りでもそういう方が出てきたりして、それでいいのかといった話にようやくなりました。
私は子育てとか、途中のステップはすっ飛ばして、いきなり子どもから老人になるみたいな、凡庸なサンプルなのですが、そういう人は周りにたくさんいるんですね。子どもがいない40代、50代女性や、結婚していない、あるいは結婚したけれどまたシングルになった女性。男性も同様で、生涯非婚という方も増えている。そういう人たちがこれからどういう老いを迎えていくのかというのは個人的問題であると同時に、非常に大きな社会問題なのではないかなと思うのです。
――香山さんは「老後がこわい」という本のなかで、「あまり老後について『考えたくない』のではないか、ということに気づいた」と書かれています。これは、多くの人に共通する心情かもしれませんね。
香山 女性でも“美魔女”とか言って、40歳を過ぎても美しい人が話題になりますし、医療のなかでもアンチエイジング医療が盛んです。「いつまでも老いずにいられる」というメッセージが溢(あふ)れていると思うんです。
自分自身を考えても、自分がいくつだとかをあまり意識しなくなりました。年齢から解放されていて、それはいいことだと思うんです。いくつになっても好きなことを楽しめるし、「もう○○歳なのに」とも言われない。でも、医者として、人間を生物学的に見れば、加齢の問題というのは解決できていないわけです。いくら見た目が美しかったり、ちょっとケアをしたりしても、寿命を2倍にできるわけではないですし、残酷な現実として老いは必ずやってきます。
■老後いくらあれば安心かは分からない
――香山さんは、若い人こそ、いまから高齢期への備えをしておくべきだとおっしゃっていますね。
香山 はい。そう思うのですが、いまは老後にいくらお金があれば安心して暮らせるのかが分からないし、きちんと考えようと思っても、自然災害もあれば、日本経済もどうなるか分からない。まったく先が読めないから、若い人は考え始めても、途中でふと空しくなるようです。きちっとプランニングするモチベーションが持ちにくいですね。
若いころから老後のことを考えて暮らすというのは難しいと思いますが、自分に老後が訪れるということを1回も考えない人もいると思うんです。いま、おじいさん、おばあさんと同居されている方も少ないですし、高齢者をみる機会もないからでしょう。毎日考えなくてもいいので、自分は70歳になったら、こういうことを楽しんでみたいなとか、いろいろ考えてみるのは悪くないと思います。
――香山さんが、老後は楽しいというロールモデルを提示してほしいと研究会でおっしゃっていたのが印象的でした。
香山 高齢になってからも男女の出会いがあって楽しくなるかもしれません。学生たちに「老後はどうしていると思う?」と聞くと「民謡を聴いてる」なんて言うのですが、若いころに民謡を聴いていないのに何で年をとると聴くのでしょう。私たちの世代の老後は、いまの高齢者とは生活が全く変わると思うんですよ。そのへんをもう少しシミュレーションできるといいのですが。
■「自己責任」だけではやっていけない
――老後のことを漠然と考えると不安になるだけですね。
香山 20代、30代はお金を消費するよりも貯蓄に回そうと考えたり、節約を考えたりしているようで、それがクルマ離れやブランド離れにつながり、消費を冷え込ませるという悪循環が起きています。
だれもがこの世を去るときまで元気でいたいと口では言うんですが、そんなにうまくはいきません。年をとれば当然、いろいろな病気になりやすくなります。そうなったらきちんと医療や介護を受けられるといった心の安全装置が必要です。「なんとかなるさ」ではやっていけないですよね。
21世紀になって小泉首相が小さな政府を目指したのがとん挫して、やはりそれでは駄目と言われているところに、また同じ考えが出てきたりもしています。それぞれが自立して、自分のことは自分で面倒みましょうという自己責任の考え方です。ただ、それでやっていけるのかなというのが私の正直な気持ちです。
去年、大震災もあって、多くの人たちがやはり一人ではやっていけないとか、いざとなったら助けを借りなければいけないというのを身にしみて感じたと思うのです。
――香山さんは2006年に出版された「老後がこわい」で、終(つい)の棲家(すみか)や介護、医療、いつまで働けるか、といった老後の不安について具体的に調べて「すべての問題はいま過渡期にある」という結論を得ました。でもいまだに過渡期のままですね。
■30歳全員に介護手続き講習の義務付け必要
香山 介護などは訪問介護サービスなどが出てきましたし、住まいもいろいろな高齢者向け住宅が出てきていますけれど、自分たちで暮らしやすくする試み、例えば女性たちでコレクティブハウスをつくるといった試みはうまくいっていません。医療などの状況は悪化していますね。
社会学者の上野千鶴子さんとお話をしたときに、上野さんはしっかりした自立の考えの持ち主ですから、きちんと自分でお住まいの近くで、介護はこのステーションに、医療はこの先生にとか、準備万端整えて、もう安心とおっしゃっていました。でも、だれもがそんなにきちんと自分のことを自分でできるわけでもなく、「私はますます老後が怖い」と言って「あなた、何やっているの?」と笑われました。
地域差もありますし、本人の経済状況もあるし、そこまで自分できちんと意識的にいろいろな人に頼んだりするのは、なかなか難しいですね。
――そこまでできなくてもいいのかもしれませんが、逆に日本人はあまりにも介護など高齢期に必要な知識が不足していますね。
香山 介護は、実際に親の介護をする場面にならないと、何をどう手続きしていいかも分からないですね。親の介護はとても大事な問題なので、30歳くらいで全員が介護の手続きなどについて講習を受けなければいけないという義務を課すべきではないかと思います。
(ラジオNIKKEIプロデューサー 相川浩之)
かやま・りか 精神科医。立教大学現代心理学部教授。1960年北海道生まれ。東京医科大学卒。学生時代より雑誌等に寄稿。その後も臨床経験を生かして、各メディアで社会批評、文化批評、書評など幅広く活躍し、現代人の“心の病”について洞察を続けている。専門は精神病理学だが、サブカルチャーにも造詣が深い。