幸せな自立死(下)ジャーナリスト・矢部武 死に方より生き方に全力

2012年04月05日産経新聞

――「無縁社会」は、戦後の日本が近代化や都市化を推し進め、「イエ」や「ムラ」の束縛から逃れてきた当然の帰結だ-。こんな有識者の指摘があります。日本は個人の自由を求めて縁を失ったのに、なぜ個人主義の国である米国は“有縁社会”でいられるのでしょうか

矢部 米国は筋金入りの個人主義の国、自由の国ですが、それができるのは支援がセットになっているから。日本は中途半端なまま個人主義や自由を追求しました。その結果は、私が見る限り米国より悲惨な状況です。(孤立して)餓死者が出るようなシステムなんて、先進国として恥ずかしいと思わなければなりません。

――定年退職後、家庭に居場所がないと感じる男性もいるようです

矢部 日本人は家族以外の人との付き合いが少ないように思います。特に男性は会社以外でのコミュニケーションが苦手な人が多い。中高年男性がコミュニケーション不足で孤独死するのは、日本の会社文化、企業文化が生んだ犠牲かもしれません。

――どうすればよいのでしょうか

矢部 奥さんに対してまるで部下に接するように振る舞ってきた人は、まず奥さんを人間として扱うことでしょうね。今からでは遅すぎるかもしれませんが、やるしかありません。それと、自分の時間を作ったりボランティアなどで得意なことを生かしたりして、自分を認めてくれる場所を作るといいと思います。

――ご自身は最期を一人で迎えるかもしれないことに一抹の不安もないのですか

矢部 みとられないことへの不安はありませんね。この先、再婚するかもしれないし、しないかもしれませんが、少なくともみとってもらうために再婚したいとは思いません。

――どんな「自立死」を理想としていますか

矢部 死ぬまで気ままに生きること。何カ月間も誰からの連絡もないような孤立した死に方はしたくありませんね。結局、私が「自立死」で言いたかったのは、死ぬまでの生き方も関係しているんじゃないかな。孤立せず自分らしく生き、死にすぐ気付いてもらうための準備をする。それで冷静に考えてみると、ちょっと気持ちが落ち着きませんか。そうしたら、後は生きることに全力を注いでほしいと思います。(豊田真由美)