絆はなぜ切れた:高齢社会の家族 番外編/下 親子の在り方に悩み、揺れ

2010年10月06日 毎日新聞

◇合意の上、別居/自立が必要/血縁越えたつながり

 「親子の絆(きずな)。決してきれい事は言えません。少し大げさに言えば、僕も(親の年金を)『隠れ不正受給』していたようなものです」。連載を読んださいたま市の男性会社員(48)は、手紙にこんな言葉をつづっていた。

 男性は独身で父親(77)と2人暮らし。認知症の母親(76)は施設にいる。以前はよく家族旅行をした。やがて親の年金から月3万~4万円もらうようになった。最初は自分の給料で足りない時にやむなく拝借していたが、「同居して安心感を与えているのだから、使う権利がある」と考えるようになった。

 反省するきっかけが、連載に登場した77歳の女性の話だった。女性は子が金に困れば渡し、同居したくても「子に迷惑をかけるような親になりたくない」と寂しさに耐えていた。子の人生を気遣う親と、それに甘える子。自分と重なり「家族ってこんなもんじゃない」と我に返った。

 「そばにいても、孤独を感じさせていたかもしれない。もう親をそんな気持ちにはさせません」。最近は3日に1度、施設の母を見舞うという。

 愛知県の女性会社員(35)からは「私は父を半分、孤独死させたようなもの」との手紙が届いた。病院嫌いの父は病が重くなっても実家で1人で過ごした。一人娘の女性は毎日通ったが、最期には間に合わなかった。「自宅で死を迎えられて良かった。でもみとってあげられなかった」。思いは交錯する。

 愛知県の公務員、横山正樹さん(51)も、母(83)が実家で一人暮らし。一人息子で同居も考えたが「年をとったら住み慣れた土地が幸せ」と、合意のうえ別居した。以前は毎日電話したが、ある時口論になり、今は互いに干渉しない。「転んだり、ぼけたりしていないか心配になるが、これも母と私が選んだ生活です」

 嫁の立場からは厳しい意見も。義母と4カ月間同居した女性(55)は「家族は最初から絆で結ばれていると考えるのは都合が良すぎる。老後は自分が歩んできた人生で決まる」。大阪府の女性は「思いやりや歩み寄りがなければ一緒に暮らせない」と訴えた。

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 高齢になっても自立して暮らすべきだとの意見は、親世代からもあった。神奈川県藤沢市の末広勝美さん(75)は「孤独死を気の毒と思うのは、生きている人の一方的な見方では」と疑問を投げかける。「孤独を寂しく思うか、楽しめるかは生き方次第。昔のような絆が望めないなら、親も子も精神的に自立しなくては」。夫を亡くし独居で、誰にもみとられず死ぬ覚悟はあるという。

 一方、東京都中野区の嵯峨山あき子さん(70)は「自分が高齢になり夫を亡くしてから、母を思いやれるようになった」と話す。以前は自分の生活で精いっぱいだったが、最近は2カ月に1度、一人暮らしの母(93)の家に通う。「親子といえども最初から絆で結ばれているわけではない。互いに努力し、少しずつ愛情を育てる。手のかかるものではないでしょうか」

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 連載では、団地で独居高齢者が合鍵を持ち合う動きも紹介した。「うちも取り組んでいます」と情報を寄せたのは、多摩川住宅(東京都調布市)「ホ号棟」管理組合の近藤信夫さん(81)。

 同棟では2年前、70代女性が亡くなった。新聞受けに朝刊が残っているのを見つけた住人が、女性が合鍵を渡していた住人と室内に入り、遺体を見つけた。死後数時間の素早い発見だった。老老介護の世帯も多いが、マンションのようなマスターキーもない。「孤独死を防ごう」と、管理組合が希望者の合鍵や緊急時の連絡先を預かる制度を始めた。

 「人は1人で生きられない。遠くの親せきより近くの他人で支え合いたい」と近藤さん。高齢化は新しい絆も生みだしている。【清水優子、水戸健一】