絆はなぜ切れた:高齢社会の家族/5 識者に聞く 芹沢俊介さん/香山リカさん
2010年09月24日 毎日新聞
高齢社会の中で、希薄化する家族の関係をみてきた連載の最終回として、変容する家族の背景をどうみるか、老いを支え合っていくために、どういう方向を目指すべきなのかについて、2人の識者に聞いた。
◇血縁超えた関係づくり、重要要--社会評論家・芹沢俊介さん(68)
私の父(96)と母(94)は2年半前から民間の介護施設で生活しています。週に一度は顔を見にいき、2時間は話をしますが、2人の存在が自分の中で希薄になっていることを実感します。私の周囲には、親が入居先でどのように暮らしているのかを知らない人が多く、見舞いさえしない人もいます。
今回の高齢者の所在不明問題の背景には、家族の空間が縮小してきたことがあるでしょう。戦後の日本の家族の空間は、3世代が同居する大家族、親を排除して夫婦と子どもだけでつくる核家族と徐々に空間を狭め、70年代についに核家族の内部もバラバラになりました。
現代の家族は互いが、良くも悪くも、無関心であることを前提に成り立っていると言えます。しかし、それは人と人の絆(きずな)が切れたというよりも、絆の結び方が変わったのだとも表現できます。無関心と孤独は背中合わせです。これから迎える超高齢化社会で、適度な関心と適度な孤独を手探りしながら、幸福感を得るため、どのように生きればよいのでしょうか。
家族の絆を取り戻そうとするのでなく、血縁を超えた関係をつくる試みを進めている地域があります。連載記事にあったように、団地で独り暮らしをする高齢者が互いに合鍵を交換し合う姿はよい例でしょう。また例えば、血縁のない障害者と軽度の認知症患者たちが一緒に暮らしているグループホームに、健常な高齢者が加わることもできるはずです。
高齢者の所在不明問題で日本社会の貧しさが表面化しました。夫婦ですら個別の生き方を考える社会で、今後は、家族の枠組みを超え、互いに必要性を共有できるような空間づくりが重要になると思います。
◇弱者受け入れる価値観を--精神科医・香山リカさん(50)
「無縁社会」という言葉がキーワードになり「孤独死は悲惨で避けなければならない」という恐怖が広まっています。私の診察室にも「消えた高齢者になってしまうのではないか」「親を孤独死させてしまうのではないか」という方が来ます。
本当は関心を持ってほしいのに、孤独死したり所在不明になるお年寄りは不本意でしょう。でも、「消えた高齢者」の問題を考える時、「昔はもっと家族が温かかった」というのは少し違うように思います。
精神科医になった25年近く前から、家族の問題で苦しむ人は多くいました。ただ当時は「嫁はしゅうとめをみるべきだ」といった「世間の目」や家族のしがらみが強く、離れたくても面倒をみざるを得なかった。しがらみのおかげで、高齢者が消えずに済んだかもしれませんが犠牲になる人もいたわけです。
今、自分がうつ病だったり、仕事がなく追いつめられていて、親に連絡を取りたくても取れない人も多い。自己中心的な人ばかりが親を放置しているわけではないです。
これからの老後は、知人・友人のネットワークや社会的サービスに頼らざるを得なくなります。この時、お互いが「お世話になる」という感覚を持たないと、支え合うのは難しいでしょう。また弱い立場にある人を受け入れる価値観を持つことが大切になります。社会全体が余裕を失い、効率を追求するようになると、高齢者や病気、障害をもった方たちを排除する傾向に向かう恐れがあります。
お年寄りが地域や家庭にいる方が、何かの助けや向上につながっていく。多様な人がいた方が活性化して持続可能な社会になる。そうした考え方の中に解決のヒントがありそうです。【聞き手・山崎友記子】
■人物略歴
◇せりざわ・しゅんすけ 東京都出身。文学、思想、家族などの幅広い分野で評論活動を行う。著書に「家族という絆が断たれるとき」。
◇かやま・りか 北海道出身。立教大教授。現代人の心模様を軸に広く社会問題を論じる。著書に「『悩み』の正体」「親子という病」など。