絆はなぜ切れた:高齢社会の家族/1  「所在不明」人ごとじゃない

2010年09月20日 毎日新聞

 親の生死すら知らない--。今夏相次ぎ判明した高齢者の所在不明問題は、深刻な家族関係の希薄化を浮かび上がらせた。高齢社会の底流で何が起きているのか。肉親の結びつきからはぐれたお年寄りやその家族を訪ねた。【清水優子、水戸健一】


◇病気抱え独居 「子に迷惑かけるわけには」

 さび付いたドアを開けると、6畳の殺風景な和室に小型テレビとベッド、小さなタンスが並んでいた。弁当の空箱やレジ袋が散らばり、出しっぱなしのコタツは布団がうどんの汁やたばこの焦げで黒ずんでいる。

 残暑厳しい9月の日曜日、記者は東京都大田区で「たかせクリニック」を営む高瀬義昌院長(54)の訪問診療に同行した。「たばこ減らした?」「1日10本くらい。値上がりするしなあ」。茶飲み話をしながら、高瀬院長が手際よく男性(77)の脈や血圧を測る。

 目が覚めてから眠るまでの約16時間、部屋のテレビで好きな時代劇などを見て過ごすという。「誰とも話さない日も珍しくないよ」と寂しそうに笑う。

 男性は福岡県で3人きょうだいの末っ子として生まれた。炭鉱で働き結婚し一人息子を授かったが、妻を病で失った。息子も成人して恋人ができ、50代のとき単身で上京。タクシー運転手などで生計を立てた。

 60歳を過ぎたころ、駅のホームで突然倒れた。脳梗塞(こうそく)だった。後遺症で左半身が不自由になり、今は年金と生活保護が頼りだ。

 兄はすでに亡く、姉は宮崎県にいると聞いた。長男とは妻の死後、音信不通になったままだ。テレビが孤独死を報じると、自分の最期を重ね合わせる。「いつ死んでも構わない。息子は元気でいてくれればいい。ただ、全く歩けなくなる前に、故郷で両親の墓参りをしたい」

 京浜工業地帯にある大田区は、23区内でも高齢化のスピードが速い地域の一つだ。独居高齢者は09年度で4万2000世帯と、5年間で9000世帯増加。高瀬院長の往診先も年々、独り暮らしのお年寄りが増えている。

 私鉄沿線の木造アパートでは、仲宗根さん(61)が往診を待っていた。十数年前に沖縄から上京して以来、この4畳半一間で一人暮らし。「妻がうつ病で自殺したんです。とても愛していました。でも子どもとは疎遠になっていた」。沖縄にいる理由はなくなった。そして東京には仕事があった。
 2年前に脳出血で倒れ、左手足が動かなくなってから、急に心細くなったという。そして今年1月、「1人で死ぬ寂しさと怖さ」を突きつけられる出来事があった。

 真上の部屋に60代の男性が住んでいた。廊下で会釈する程度の付き合いだったが「そういえば最近、姿を見ない」と気になった。仲宗根さんは階段を上がれないので他の住人に見に行ってもらうと、布団の上で冷たくなっていた。死後3日が過ぎていた。

 子どもたちは家庭を築き、孫が生まれたと人づてに知った。「そばにいてくれたら……でも今さら、切れてしまった絆(きずな)が戻るはずもない」



 平日の昼下がり。今度は同じ大田区にある2階建ての一軒家を訪ねた。民間業者が運営し、介護の必要な生活困窮者十数人が暮らす「共同住宅」。昼食後、冷房が利いたリビングで5人の入居者がぼんやりテレビを眺めている。認知症の人もいて、会話は少ない。

 共同住宅の経営者が説明した。「入居者と家族との関係は、ほぼ切れています」。見舞いがあることはまれで、共用電話に時々かかってくる電話も「体調を気遣うようなものでなく、経費の支払いに関する問い合わせなど」という。

 「うば捨て山みたいな所でしょ? でも気に入っているの」と、1年半前に入居した節子さん(77)が声を潜めて話し始めた。

 夫は心臓疾患で40年前に先立った。足に障害がある独身の長女(59)と、借金と6人の子を抱える長男(57)がいる。長女は年に数回顔を見せに来るが、長男とは5年間連絡を取っておらず、電話番号も知らないという。

 夫亡き後の生活は楽でなく、一家だんらんの記憶はない。でも節子さんには「悪い親ではなかった」との自負がある。若いころは企業の社員食堂を切り盛りし、70歳までホテルの受付として働いた。長女が中古アパートを買う際は頭金を出し、長男が事業に失敗すると借金を肩代わりした。長女と一緒に暮らしたこともあったが、お互い気性が激しく、節子さんから飛び出してしまった。

 そしてアパートで一人暮らしをしていた2年前、室内で倒れた。半日後、別室の高齢者を訪問したケアマネジャーが窓越しに気付き、救急車を呼んでくれた。「運が悪ければ私も白骨化していた」。退院する際、長女に「1人暮らしは心配」と言われたが、また同居しようという意味ではなく、この共同住宅に入ることになった。

 しかし、体調が回復し介護が必要でなくなれば、ここも出なければならない。「一緒に暮らしたい気持ちはあるけれど……」と寂しげな表情を浮かべ、首を振った。「子には子の人生がある。最期に迷惑をかけるような親にはなりたくない」

 節子さんの居室は6畳間を板で半分に仕切ったスペース。時折、板の向こうから激しいせき込みが聞こえてくる。「できればこの家で死に、あそこに埋めてほしい」。窓越しに、洗濯物が揺れる小さな庭を眺めていた。