「自分ばかり」が孤独死招く―「地域ケア」を考える(1)

2010年08月10日 キャリアブレイン

 政府は2012年度の医療・介護報酬の同時改定に向けて、在宅医療・介護を推進する政策「地域包括ケア」を打ち出している。既に地域ケアの第一線で活躍する現場では、この動きをどのように見ているのか、地域ケアの主要な論点ごとに考える。初回は、誰にも看取られることなく孤独の中で死を迎える「孤独死」について、NPO法人孤独死ゼロ研究会の中沢卓実理事長に聞いた。


■家族起点に「バラバラ現象」

―厚生労働省の調査によると、独居高齢者は高齢者世帯の約半数となる463万人。年々、孤独死問題が注目されるようになってきた。

 孤独死の根幹にある問題を、わたしは「バラバラ現象」と呼んでいる。希薄な人間関係を望む「心の貧乏」が、現代社会にまん延し、人間と人間がバラバラになって交われなくなる現象のことだ。人間は、人間と交われなくなるから、孤独死する。当たり前のことだ。原因は、それしかない。

 なぜ人間が交われなくなるのか。バラバラ現象の起点は、「家族」にある。典型的な一例を挙げよう。

 ある家族は、住宅ローンの返済で父親が仕事で忙しく、母親までパートに駆り出され、大切に甘やかされて育った子どもには一人一室が与えられる。やがて家族が集まる時間はほとんどなくなり、子どもは部屋に鍵を掛けてこもり、家族の会話は絶たれる。家庭は崩壊し、そんな家族ばかりになれば、その地域で町会自治会は機能せず、その結果、地域は崩壊。人間関係も崩壊する。

 家庭崩壊の状況はさまざまだろうが、家庭崩壊をきっかけに、バラバラ現象は地域をのみ込んでいく。

 家庭崩壊や地域崩壊は、行き過ぎた「個人中心主義」の成れの果てだ。自己研さんが不要とは言わないが、中心に据えて考えるべきは「人のためが自分のため」という考え方だ。人は、自分のためだけに生きることはできない。そんなことは、不可能だ。必ず、人は人に支えられ、助けられて生きている。「人のため」を怠り、自分のことばかりを追求し、「人のため」の交わりを拒絶するようになると、孤独死が待っている。

 孤独死の現場を見れば、そのことは一目瞭然だ。部屋は必ずと言っていいほどゴミの山。掃除・洗濯ができない、料理もできない、友達がいないの「ないない尽くし」。こうした孤独死予備軍は男性の独居老人に多く、孤独死問題では特に、「ないない尽くし」の男性独居老人をどうするかが課題になっている。

 ここ最近では、結婚できない若年層の孤独死も目立つ。「ないない尽くし」になってしまえば、30代のような若者にだって、孤独死は容赦なく訪れる。問題の根っこは、独居老人と同じだ。


■防止策の第一歩は「あいさつ」

―孤独死を防ぐにはどうすればいいのか。

 「向こう三軒両隣は友」「友は宝なり」の精神が、孤独死を防ぐ。そのためには、何よりもあいさつだ。

 わたしはよく、「孤独死は生活習慣病だ」と言っている。「ないない尽くし」の生活をし続ける生活環境にあるから孤独死してしまうという意味だ。これを断ち切るには、あいさつを大切にする心を養い、進んで人と交わるようにするほかない。あいさつは、他人を思いやる気持ちをはぐくむ第一歩。幸せづくりの第一歩である。

 あいさつができるようになったら、地域のために働く。高齢者になっても、外に出て、人のために働くべきだ。人のために尽くすことは、人のためにやってあげているだとか、弱い人の面倒を見てあげるということではない。自身が強い人になるため、自分のために人に尽くすのだ。強い人でなければ、人のために尽くすことはできない。特に男性は、若いころは仕事をして世のために尽くすが、定年退職して人のために尽くすことをしなくなると、一気に衰退の道へと転落する。

 これから生きる人たちは皆、「人生90年時代」の視点に立つべきだ。定年退職後も働き、感謝され、自分も隣人に感謝する。「ありがとう」を言い合える関係をつくる。働くこと、人のために何かをすることは、最大の健康法だ。


■「国の政策、死生観ない」

―見守り活動など国の対策をどう評価するか。

 一言で表現すれば、死生観が全くない。「死」は「生」の鏡。死の問題を深く考えてこそ、人は善く生きることができる。見守り活動をすること自体はいいが、「友は最大のケアの力」と地域が自発的に取り組むのと、国からお金をもらいやすいので見守り事業をするのとでは、全く異なる。

 わたしはよく、「上からの福祉」と「下からの福祉」という言葉を使う。意味は、前者が国の制度による福祉で、後者は地域が自発的に取り組む福祉を指す。国は「地域包括ケア」という言葉を使って、「下からの福祉」が必要な地域で「上からの福祉」を行いたいようだが、それでは水と油。地域を救うことはできない。

 地域包括ケアの最大の欠点は、要介護者などの本人が何をやるべきか明示していないことだ。地域が要介護者などを「支えてあげる」という発想ではなく、それ以前に本人による自助の位置付けを明確にすべきだ。地域の実情を知り、死生観を持って地域ケアを考えれば、施設の延命治療を地域に持ち込むような発想にはならない。時代の流れにも逆行している。

 「下からの福祉」には、大いに汗をかいて、時には進んで恥もかけるリーダーが欠かせない。そのリーダーを中心に、皆で難しいことをやさしく、やさしいことを深く考え、深いことを面白く共有できるような地域が必要だ。どんなに素晴らしいことでも、最終的に参加者が楽しめなければ、地域に根付かない。それができている地域では、何週間も誰も気付かないような孤独死は出ない。

 現行の介護保険や福祉関連制度と「下からの福祉」がどう連携していけばいいのか―。孤独死に象徴される家庭崩壊、地域崩壊の問題は、介護や福祉の側面だけでは考えられない現代社会の大きな課題だが、これ以上、この問題を避けて通ることはできない。