「豊かな加齢」支える産業
世界に先駆け育成を

10年後100兆円市場に 介護保険の信頼性が重要

2010年08月02日 日経新聞

 2010年現在、日本の75歳以上人口は1400万人である。これが20年後の2030年には2300万人へと900万人の増加が予想されている。このような急速かつ大規模で本格的な高齢化は世界で初めてのことであり、解明すべき点も多い。たとえば、身体機能の低下を抑え、できる限り自立を維持して安心で快適な生活を送るためには、どのようなライフスタイルがよいのか。それを支える商品・サービスや住環境は今後どうあるべきなのだろうか。

 現在、100歳以上の高齢者の所在不明が各地で相次いでいる。今こそ「豊かなエイジング(加齢)を支える」仕組みづくりの重要性を認識すべきであろう。高齢化に対応したリアリティーのある成長産業像を描くことは、わが国の経済成長実現の大きなポイントでもある。成長する市場を見いだすには、高齢者の生活とニーズを知る必要がある。


 まず統計的データから高齢者の平均的な姿を探ってみよう。多くのネガティブなイメージに反して、日本の高齢者の大半はほぼ自立している。75~84歳で介護保険の「要介護・要支援」に認定されている人は約2割にとどまる。ただし、慢性的な体の痛みなど身体的な問題を抱えている場合が多い。60歳以上の6割はほとんど毎日外出するなど活動的で、65歳以上世帯の金融資産は平均2400万円と、全世帯平均(1800万円)よりかなり多い。

 三菱総合研究所は今年4月、60~89歳の4640人を対象にアンケート調査を実施した(回収率61%)。その結果によれば、70代後半から身体能力や嗜好(しこう)が大きく変化し、消費傾向も変わる。これに適切に対応した商品・サービスを生み出せば、需要はかなり大きい。

 高齢者が最も困っている健康上の問題は「腰・肩・ひざの痛み」である。また「ものが見えづらい」は加齢とともに減少する一方、「音が聞こえにくい」は増加する傾向がある。補聴器などにはまだ改善の余地が残されているのかもしれない。身体機能の補完や回復のために、いくらまでなら支払ってもよいか尋ねると「手足の動きが悪い」には平均18万円、「視力」は13万円などであり、これらのデータを用いて推計した各種症状改善の潜在需要は8兆円となった。様々な健康支援サービス、機能補完器具やロボットなどの商品化が待たれる。

 今の住宅に「住み続けたい」とする回答者は、団塊世代で5割、65~74歳で6割、75歳以上で7割であり、高齢になるほど定住維持志向が強い。ただし、体力の衰えで「部屋や浴室等の入り口」「玄関」「階段」などの高低差が大きな問題となる。このため高齢者の約2割が自宅改修の意向を持つ。改修予算は平均290万円だが、85歳以上に限れば400万円近い。推計した住宅改修・住み替えの潜在需要は5・8兆円に達する。

 余暇活動も70代後半から大きく変わる。例えば「国内旅行・海外旅行」実施率は74歳までは7割にのぼり、75歳以降になると5割以下に低下する。「スポーツ観戦・観劇・美術鑑賞」でも同様の傾向が出た。高齢者による旅行や観劇などの余暇活動消費は年間7・2兆円、未実現の潜在需要は4兆円と推計された。

 衣料品に関しては、70代後半から「配偶者や子ども等周りに薦められて」購入を決める人が顕著に増え、価格への関心が薄れる傾向がある。60歳以上の被服費支出は年間3・4兆円に及び、推計した未実現の潜在需要は2・4兆円である。なお65歳以上の女性の3割は「気に入るデザインの服がない」「体形に倉つ服が少ない」と感じている。

 食について利用したい商品・サービスとしては「電子レンジで簡単に調理可能なもの」を望む者の比率が各世代とも3割前後を占め、最も多い。「1日3食宅配」を利用したい人は、団塊世代では5%にすぎないが、85歳以上では1割を超える。

 衣や食の領域では既存商品にちょっとした工夫を加えて「豊かなエイジングを支える」ものができそうである。アンケートには「手が不自由でも着やすい服」「背中が曲がっていても合わせられる服」や「量が少なく、具が小さい外食」など、企業にとってヒントになる記述があった。


 さらに、現状でも50兆円に達する医療・保健・介護への需要などを加えて推計した結果、現時点で団塊の世代以上の消費者が形成する市場は少なくとも74兆円に達する。このほかに、潜在需要は20兆円強と推計された。家計調査年報から算出すると、世帯主が60歳以上(2人以上世帯)の家計の消費が我が国の消費支出総額(同)に占める比率は09年で約4割に達しているから、驚くには当たらない。

 今後、豊かなエイジングを支える産業の市場は年率3%で成長し、2020年には100兆円を超えるというのが我々の予想である。すでに述べた潜在需要が顕在化すれば、市場規模はさらに大きくなる。さらにいえば、回答者はおそらく「今すでにある商品・サービス」を念頭に支払い意思額を記述しており、全く革新的な商晶・サービスが出現すれば、ここで推計した潜在需要を超える需要が喚起されることもありうる。

 これらの産業の展開に大きな影響を与えるのが今後の医療・介護の方向性、すなわち「施設」から「在宅」への流れである。高齢者が多少の身体的不調を抱えながらでも、ある程度快適に自宅での生活を送れるような支援こそ、豊かなエイジングを支える産業の役割であり、社会保険制度のあり方と産業振興が表裏一体の関係にある。

 とりわけ、行動範囲が狭くなる75歳以上に対しては、個々の商品・サービスが「在宅」を核とした一つのシステムとして構成されることが重要である。例えばバリアフリー化は住宅だけでなく居住地域全体で対応しなければ、むしろ室内が快適になる分だけ外出意欲を減退させる可能性もある。独居高齢者が急増するため「遠隔見守り」などのセキュリティーサービスや地域コミュニティーの充実も必要である。こうしたことから、都市部の急速な高齢化に対応して住宅産業と組んでケアシステムを担う企業が成長する可能性が出てくる。

 ところで、高齢者世帯の消費態度は慎重である。我々のアンケート調査でも、75歳以上では貯蓄について「万一の場合以外は使うべきではない」という回答者が4割を超えて最も多い。貯蓄を「子どもなどに残す」という回答は数%で極めて少ない。「万一の場合」とは「自分や配偶者が長期の寝たきりになった場合」である可能性が高い。

 そうであれば、寝たきりになり介護保険制度を利用した場合に、どの程度の金額で、どのような生活ができるのかを高齢者に伝え、制度への信頼感を高めることで、高齢者の不安は解消され、消費が大きく動く可能性がある。そのためには、高齢者ニーズに即した制度設計と制度の持続可能性の担保が欠かせない。

 中国では既に65歳以上人口が1億人を超えており、2027年には2億人を超えると予想されている。インドの65歳以上人口は2025年に1億人、2047年に2億人を超える。両国とも経済成長率は高水準で推移すると見込まれ、比較的購買力のある高齢者層が急増することとなる。

 今後、世界はいや応なく高齢化する。その中で、真っ先に高齢化の洗礼を受ける日本市場の価値は非常に高い。豊かなエイジングを支える新商品・新サービスは、今後10年、おそらく日本の市場から生まれてくる。ヘルスケアや食品の分野で日本市場が世界のテストフィールドになると考え、日本に進出する海外企業も出てきている。

 これらは典型的な平和産業でもある。日本で育て上げられたロボットスーツや、バリアフリーの都市・住宅システム、各種のヘルスケアサービスが、世界の高齢者に安全と安心、健康な生活を提供することになる。豊かなエイジングを支える商品やサービスの開発は、我が国の新たな平和的輸出産業の育成にもつながるはずなのである。

長沢光太郎(三菱総合研究所執行役員)
58年生まれ。ケンブリッジ大修士課程修了、東大博士(工学)。専門は社会資本、社会保障